ついに迎えた現役引退 ~最初で最後の「引退」が見えて、そこを通過して感じたこと~
大学のフィギュアスケートの引退は、
4年時の1月~3月頃と部活の
そして、
今回は、私のスケート人生において、これまでの人生においての
最大の節目といっても過言ではない「引退」について書いています。
私が初めて「引退」というものを意識したのは、大学1年の3月の試合
それまで中学高校とスケートを続けてきましたが
引退というワードが頭に浮かんだことは一度もありませんでした。
中学高校の頃はフィギュアスケートを部活としてやっている人は少
クラブでは同じ先生についている子たちと一緒に練習したりもしま
習い事の感覚に近いので、
私は、高校3年の時に大学受験でスケートは休んでいました。
本気でやってきた習い事に区切りがついたな、
そこできっぱりやめると決めていれば、
そして、大学受験が終わり、大学でもスケートを続ける決断をします。
大学1年3月の試合で、4年生の人が引退する様子を見て
初めて「これが引退というものか」と思いました。
演技が終わり、
大学の後半戦である3・4年は常に
「
先生からも「最後に、
私の中では、
そしていざ、自分が4年生になり、同期が引退し、
1・2年の頃に思っていたよりもあっけなくその時が過ぎてしまいました。
後輩から見て今の自分は、自分が数年前に見ていたような4年生に見えていたのかな、と。
引退試合とはいえ、
それだけで完結するものではなく、
どう取り組んで来たか、
その最終地点が引退試合なのだと思いました。
引退試合だけでなく引退の年は、一つ一つの試合が名残惜しく、
これまでに以上に貴重なものであると同時に、これまで支えてくれた多くの人たちへの感謝の気持ちが大きくなった年でもありました。
この年は、すべての試合がその試合は最後となり、毎回何かの最後を感じます。
いつも一緒に練習している仲間や後輩の前での最後の演技、
先生と臨む真剣勝負の最後の試合、スケートを始めたときから
ずっと応援してくれていた家族が見に来てくれる最後の試合。
引退が近づくにつれ、自分はこれまで本当に多くの人に支えられ
その人たちがいたからこそここまでスケートを続けてこられたんだ、と
体の奥底から感じる思いが強くなっていきました。
だからこそ、よい演技をして結果を残して、
応援してくれた人たちに感謝の気持ちを届けたい。
おこがましいですが、私のスケートから少しでも何かを感じてくれたら嬉しい
という思いで、引退の年の試合は挑んでいました。
毎試合、嬉しくて悲しくて寂しくて、涙を流していました。
引退が迫った4年の1月・2月の試合でこれまでにないほどのボロボロな演技をしてしまったときは、涙が止まりませんでした。
これまでのような、練習してきたことができなかった悔しさの涙ではなく、
大切な人たちが見てくれていたのによい演技ができなかった、
自分のスケートができなかったことが、申し訳なくショックでした。
そんな中、ついに迎えた引退試合。
もちろんたくさんの人への感謝の気持ちはありますが
前の試合では、それを強く思い過ぎたがために
うまくいかなったところがあったのかなとも思い、
最後の最後は自分のために滑ろうと思いました。
スケートが好きだという純粋な気持ちを忘れないで
気持ちよく最後まで滑り、笑顔で終われるようにしようと思ったのです。
最後は泣かずに終わることができました。笑
これは、人の一生にもつながることなのではないかなと思います。
人には死という人生の引退が必ずあります。
終わりを意識することで、
そして、いかに自分はたくさんの人に支えられているか。
周りの多くの人への感謝を忘れずにいること。
大切な人のためだからこそ頑張れたり、想像以上の力が発揮できることがあります。
でもそれだけではなく、自分自身も楽しみ、生き生きとすることも
同じくらい大事なのではないかと思います。
それが誰かの力になっていればとっても素敵だな、と。
少し大げさかもしれませんが
スケート人生というものを通して、「引退」を迎え、私はそんなことを感じたのです。