気づいたら10年打ち込んでいた元スケーターの備忘録

元大学生フィギュアスケーターが10年間のスケート人生を通じて感じたことを、当事者ならではの視点から書いたり、そんな私の感性に刺さったモノを紹介します。

一流フィギュアスケーターのアイスタッツと、名もなきスケーターのレッスン券

今回は、フィギュアスケートの世界におけるIT化・技術化について、考えてみます。IT化・技術化という表現が正しいのかはわかりませんが、そういう類の話なのではと思います。

 

私がずっとスケートを続けてきた環境から、トップレベルの選手にまで広げて考えてみると、笑ってしまうような気づきがありました。

 

ここ数年、フィギュアスケート全日本選手権などの試合のテレビ放送では、「アイスコープ」や「アイスタッツ」が導入されています。「アイスコープ」は、ジャンプの飛距離や高さ、着氷速度を可視化することができ、「アイスタッツ」は、選手が滑った軌跡を速度とともに可視化することができる技術です。

〈以下、参考ページ〉

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000010.000027294.html 

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000014.000027294.html

 

目の前の選手の滑りありのままを見るだけでなく、最先端の技術を活用して、こんなふうにフィギュアスケートを楽しむこともできるのか、と驚きました。

 

「最先端の技術」を感じながらふと思い出したのは、自分がスケートをしていたときの「レッスン券」です。「レッスン券」を当たり前のように長年使っていた自分のスケート環境を考えると、アイスコープやアイスタッツというものは、違和感とも呼べるようなものだと感じました。

 

「レッスン券」について詳しく振り返ってみると...

 

スケートをする(習う)上でかかる費用のひとつに先生の月謝代があります。私はこれを「レッスン券」で先生に渡していました。レッスン券は紙幣と同じように、1枚で1,000円、10,000円があり、月謝が13,000円だとすると、1,000円のレッスン券が3枚と10,000円のレッスン券が1枚、ということになります。

 

毎月の流れはこんな感じです。先生から今月の金額が書いてある月謝袋をもらう→受付でその金額を払い、レッスン券を購入する→一枚一枚に自分の名前を書いてそのレッスン券を月謝袋に入れて先生に渡す

 

月謝袋というのは、恐らく皆さんがイメージするようないわゆる「月謝袋」です。笑 レッスン券という名前が付いていても、実質現金と変わりません。

 

当然、自動引き落としで支払っていた費用もありました。なので、このレッスン券制度には、この方法で行うべきもしくは行った方が良い理由があるからこそ、何年もこの方法が採用されているのだと思います。ただ、その理由は先生に聞いたことがなくわからないのですが...

 

レッスン券制度だと、レッスン券を印刷するコストやその管理のコストがかかります。最終的に先生の元に金額が支払われたらレッスン券は捨ててしまうとすれば、なんだかもったいないような気もしてしまいます。

 

そして、先生に渡す前にレッスン券1枚1枚に名前を書く、ということが地味に毎月面倒でした...。スケートリンクに行ったら、一刻も早く靴を履いて練習したいのに、自分の名前を何回も書いている暇はない!!という気持ちでしたね。

 

最初は律儀に漢字で下の名前まで書いていたのですが、途中から、カタカナで名字だけという最も書く手間が楽な方法にしました。特に先生からのツッコミもなかったので、最初からそうすればよかった...と思いました。

 

今になって考えてみると、手書きではなく印鑑でも良かったのかもしれないですね。一瞬でポンと押せばよいのです。ただ、学生の頃は、日常生活で印鑑に触れる事はあまりないので、そんな発想は1ミリも浮かばなかったのですが。

 

フィギュアスケートのトップレベルの選手が映し出される世界では、最近になりアイスコープやアイスタッツという技術が導入されるようになっていても、名もない1人が浸ってきたスケートの世界では、「レッスン券」が使われてる。

 

単純に直線状の対極では表せない構図だとは思いますが、そのギャップというか違いというか、に気づいたときに面白いなぁと感じたのです。

 

 

サッカーグラウンドとスケートリンク、スポーツを行う場所について考えてみた

今回は、スポーツをする「場所」「環境」が持つ特性や可能性、汎用性といったことを考えてみました。

 

私がフィギュアスケートを通して経験してきたことは、全て「スケートリンク」という環境があったからです。1年中練習できるホームリンクが自宅から通える範囲にあったからこそ、長く続けることができたと思います。

 

まずはスケートではなく、「サッカー」について書いていきます。なんでいきなりサッカー?と思う方もいるかもしれまんせが、以前書いた「フィギュアスケートで社会課題を解決できるか」という内容と少しリンクしていて、素晴らしい活動をされている団体の方とお話しさせていただく機会があったので、この場でその団体のことをシェアできればと思います。

 

love.fútbol」というNGOです。どのようなNGOかというと、サッカーしたくてもできない子どもたちの環境を変えるため、世界中でコミュニティ型のサッカー・スポーツグラウンドづくりを通じて、子どもたちに安全な場所、支え合う仲間、成長の機会の提供に取り組む米国のNGOです。ストリートサッカー中に交通事故で亡くなってしまう子どもがいる問題を背景に、

「サッカーが好きな世界中のすべての子どもが安全にサッカーできるグランドのある社会」を目指しています。(HPより引用:https://www.lovefutbol-japan.org/pages/699797/lovefutbol)

これまでに11の国で44のグラウンドづくりを実施してきています。

 

私が素敵だなと思うのは、グラウンドづくりの主体が、「地域のNPOや住民」という地域のコミュニティだということです。決して、love.fútbolの職員が主導して、地域のコミュニティが手伝うという形ではないのです。

 

コミュニティが主体となり進めることで、彼らの自信をつけたり、一体感を生み出したり、目標を実現するためのスキルを身につけたり、というように、一人一人の人間的成長やコミュニティの成長につながるのです。

 

グラウンドが完成した後に、彼ら自身でその周りに公園や商店を作ったり、広告を出したりすることで、地域経済を活性化させているコミュニティもあるそうです。

 

この団体が行なっていることはあくまで「サッカーグラウンドづくり」がメインですが、そのことを通じて、子どもたちが安全にサッカーができる環境を提供するだけでなく、各地の教育・貧困・治安・経済の問題解決といった、スポーツ+αのものを提供しているのです。(詳しくはHPを覗いていただけたらと思います。https://www.lovefutbol-japan.org/

 

スポーツだけでは社会問題を解決することは難しいかもしれませんが、スポーツを手段やきっかけの一つとして用いることで、より多くの人を巻き込めたり、解決に向けて加速することができるというのは、スポーツが持つ大きな力である、とも思います。

 

まさに「スポーツ×社会課題の解決」を体現され、唯一無二な存在感を放っていて素敵だなぁと感じます。

 

話しは少し変わって...

スケートリンクというのは、特殊な場所だなと改めて思います。

コロナのことがあり、飲食店やショッピングモールなど多くの場所が閉鎖されています。スケートリンクも閉鎖されているところが少ないと思います。飲食店は食材をそのままにしておくわけにはいかないので、違う場所で販売したり。

 

スケートリンクは閉鎖されている間、どうなっているかと想像してみると、氷を保つために完全にはリンクの機能をストップしていないのではないのではないか、と思います。あくまで私個人の推測ですが。

 

食材と違って、リンクの氷をどこかに運び出すことはできません。完全にリンクの機能をストップしてしまうと、そのうち氷が溶け始め、一度元の状態を大きく損なってしまうと、再びそれまで通りに滑れる状態に戻すには相当なコストがかかると思います。

 

なので恐らく、スケートリンクとしての営業活動はしていないけれど、氷の状態は最低限維持していると思うのです。そして、そのコストはばかにならないと思います...。

 

こんなことから考えても、「サッカー」「サッカーグラウンド」というのは、世界中の多くの人が共通認識を持ち、他の活動と併用して用いることができる、汎用性が高いスポーツだなと感じました。

 

love.fútbolのような活動を「フィギュアスケート」「スケートリンク」という枠組みで考えてみると、果たしてどのようなことができるのでしょうか。

 

 

色鮮やかな南米アニメーション映画から感じた、フィギュアスケートとの共通点

今回は私の中でお気に入りの映画を紹介したいと思います。私は映画鑑賞が好きで、これまでに邦画洋画問わずヒューマンドラマを中心に、ミニシアターに見に行ったりしています。

そんな私の中で、独自の地位にいるのが、この作品。

『父を探して』

 

ご存知の方はいらっしゃるでしょか。

英語題は、『The Boy and the World』とついているようです。

 

2013年にブラジルから生まれた映画で、

2016年のアカデミー賞の長編アニメーション部門にノミネートされた作品です。

出稼ぎに出た父親を探しに、少年が世界を旅するというストーリーです。

 

作品概要はこのあたりにしておいて、

とにかく一度『父を探して』の世界観に触れていただきたいです!

その方が少しでも魅力が伝わると思います。笑

 

 

私が一番惹きつけられるのは、

その鮮やかな圧倒的な色使い

ここには南米から生まれた作品である、ということが色濃く表れていると感じます。

少しだけ南米の国に行ったことがあるのですが、こういう色使いは真似したくてもなかなかできない、日本にいると余計に南米らしいなと思うカラーです。

 

どの場面を切り取っても、一瞬一瞬が一枚の絵かのように美しく、力強くも優しいエネルギーを放っています

この世界には、こんなにも素敵なものを作り出す人がいるのかと。

 

そして特徴的なのは、

セリフやテロップといった言語が一切出てこないこと。

登場するキャラクターが声を発する場面はありますが、特定の言語ではないので、見ている人は音としか認識できません。だからこそ、どの国でも見る人それぞれが自分の想像力でストーリーを楽しめるのだと思います。

 

可愛らしいキャラクターや色鮮やかで手書きの質感が優しい世界観とは裏腹に、

ストーリーの中では、社会の格差や環境問題といった、経済成長を優先したがために起こっている社会の矛盾、ダークサイドも色濃く描かれています。

少年は世界を旅する中でそのような現状に出会っていくのです。

ということを踏まえると、個人的には英語題の『The Boy and the World』の方がしっくりきますね。

 

私がこの作品で一番感じたことは、

「言葉を用いなくても、これだけの感動やエネルギー、メッセージを内包し、届けることができる」ということ。

全世界で40以上の映画賞を受賞したということがそれを十分に物語っていると思います。

 

言葉がなくても、そのキャラクター、動き、色使い、音楽、社会で起きていることに対する鋭い観察眼、それを芸術に昇華させる感性などによって、

圧倒的なパワーを持ち、見ている人に伝えてきます。訴えかけてきます。

言葉がないからこそ、全世界に届く普遍性があり、見ている人が考えさせられるようになっているのだと感じます。

 

お気づきの方がいるかもしれませんが、これはフィギュアスケートに共通することですね。

スケートに長く夢中になっていた私だからこそ、

このポイントが刺さったように思えます。

 

フィギュアスケートも、

言葉は用いず、自分の演技、音楽、衣装やメイクでプログラムというひとつの作品を作ります。

それら複数の要素を組み合わせて、どれだけ一体感のある世界観を作り出せるか。

そのときに生まれる感動や放つパワーというのは、テレビや会場でフィギュアスケートを見たことがある方は少なからず感じたことがあるのではないでしょうか。

 

スケート以外のことでも、やっぱり自分という1人の人間が無意識に惹かれているもの、その価値観というのは共通しているものがあるのだなぁと改めて感じました。

 

ぜひ『父を探して』に出合ってみてください。

きっと、新しい世界が広がり、不条理なことも起こるこの社会に対して、それまでよりちょっとだけ明るい希望を持つことができると思います。

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたにとっての「はかれないもの」は何ですか?

今回はスケートの話ではなく、私個人の感性に刺さった本を紹介したいと思います。ある意味、感性というものもフィギュアスケートにも大きくつながっているものだと思います 。笑

 

ある日、仕事終わりに本屋へ寄り、ふらふらといろんなジャンルを棚を見ていたとき、ふとこの本が目に止まりました。

 

『はかれないものをはかる』

 

ページをめくり始めると、一気にその世界観に吸い込まれていました。

これまで私がうまく言語化できないけど大切にしてきたこと、そしてこれからも大切にしていきたいと思う言葉たち、その言葉を表す優しい挿絵でした。

 例えば、

「すごく元気な日のサイズを測る」

「あなたが去った後の静けさをはかる」

「日だまりがみんなを引き寄せる力をはかる」 

 

日々生活していて、数字に触れない日はほぼ皆無でしょう。朝起きて見た時計、電車の時刻が表示されている駅のホーム、仕事。挙げればきりがないほど、私たちは数字に囲まれて生きています。

 

数字で表すと、わかりやすいです。瞬時に、正確に、相手に情報を伝えことができます。

社会人になり、「相手との共通認識を持つためには、数字を用いてコミュニケーションをとることが大切」だと何度も教わりました。

 

その重要性は十分に実感しています。

その一方で私の根っこには、人の気持ちや感情の動き、考え方というような、一人一人が持つ個性を大切にしたい、という価値観があります。「はかれないもの」に重きをおいている価値観、とも言えるかもしれません。

社会人になった自分だからこそ、この本が刺さったのだと思います。

 

たくさん出てくる「はかる」の中で私が一番気に入ったのは、「あなたの励ましの効力をはかる」

 

定規でもデジタルスケールでもはかることはできないけど、「あなたの励まし」が大きな力を持っていることは確かです。

 

頑張れ、できるよ、応援してる、頑張らなくていいんだよ。いろんな励ましの言葉があり、どれも何回も耳にしたことがある言葉です。

でも、これらの言葉は誰から言われるかによって、

その効力や意味合いが大きく変わってくると思います。

全く知らない人から言われるのか、家族から言われるのか、一緒に活動してきた恩師や友人から言われるのか。

 

「あなた」から言われた言葉のおかげで

その先度々訪れる困難を乗り越えることができる、

そんなことが起こり得てしまうと思うのです。

 

私は昔から走ることがあまり好きではありませんでしたが、スケートのためには持久力が必要ということで走っていました。でも、途中で息が上がってくるとだんだんきつくなってきます。

そのときに必ず思い出す言葉があります。

「息が上がってからが重要」

だいぶ前に、陸上部の友人に言われた言葉です。

息が上がってくると、いつもこの言葉に背中を押されて、足を動かします。

 

ほんの一言だし、言った本人も覚えてないだろうけれど、私にとっては何年も大きな効力を持っていて、言葉の力の偉大さを感じずにはいられません。

 

こういう関係性の人だから効力が10とか、10文字の励ましの言葉だから効力が10とかそんなふうにははかれません。

目には見えないし、数字で表すこともできないけれど、

いくつのも「あなたの励まし」は日々生きていく中で、

確かに自分を支えてくれている、そんなことがあるのではないかと思うのです。

 

本屋大賞に選ばれた本でもなく、決してベストセラーとは言われていない本かもしれませんが、だからこそ、偶然本屋で出合った私が感動したように、この本を通してこれまでの経験を考えたり、今までとは違う人生の豊かさや心の豊かさが日常の中で生まれたり、そんなきっかけになると嬉しいなと思います。

 

フィギュアスケートで社会課題を解決できるか

 「フィギュアスケートで社会課題を解決できるか」

 

これが今回のテーマです。

今回はちょっと違った切り口から書いてみようと思います。

キーワードは、「フィギュアスケート」「スポーツ」「社会課題の解決」「社会貢献」「途上国」「国際協力」といったところ。

 

 

スケートをしながらの就職活動

大学生活の後半に差し掛かり、スケートを続けながら就職活動をしていた私の中には、

フィギュアスケートは、社会課題の解決のためにどう役立てることができるのか」

という考えがありました。

 

というのも、私は仕事や会社を選ぶときに大切にしたいこととして

「世の中の社会課題を解決すること」という軸がありました。

 

社会に存在するビジネスの全ては、何らかの社会課題を解決しているとも言えますが、

私がここで出した社会課題というのは、以下のようなものです。

途上国の貧困、子どもの貧困、児童労働、紛争、男女格差、難民

国内外問わずその課題に対して、従来は民間企業ではなく国連や政府・NPOというような組織が解決に向けて取り組んできたようなものです。

 

これら社会課題の解決への貢献の仕方というのは、

1965年からJICA(国際協力機構)が実施している青年海外協力隊の職種を見るとわかるように、(参考ページ:http://www.jocv-info.jica.go.jp/jv/?m=BList

「国際協力」と一言でいっても

IT、土木、食糧、医療、教育、スポーツ、芸術など

あらゆる手段でアプローチが可能なことがわかると思います。

 

キャリアを考える上で、考え方の視点として出てくる

自分がやりたいこと(Will)・自分ができること(Can)・社会や会社から

求められていること(Must) という3つの視点。

 

青年海外協力隊の例で考えると

Mustが募集されている職種(現地で求められていること)だとすると、

自分ができること(得意分野)ややりたいことと重なっている分野の方が

より大きな成果を出すことができて、かつ自分自身の幸福感にもつながると思います。

 

ここではJICAを一例に挙げました。

キャリアを考える上で「社会の役に立ちたい」という思いがあったとしても、

それだけではなく、「自分は何ができるのか、何がやりたいのか・好きなのか」という

自己理解をすることも重要なのだと思います。

 

このようなことをふまえ、自分はこれまで何をしてきたのか、と振り返ると

大部分を占めるのは、やはりフィギュアスケートです。

「社会貢献」や「国際協力」がやりたいなら、

スケートに費やす時間や費用を、勉強したりボランティアをすることを回すことも

考えられると思いますが、私は大学の最後まで「フィギュアスケート 」という

選択肢を選び続けました。

 

以前別の記事で書いた内容にもつながってきますが、

一生の中で心から夢中になれるものには、そう多くは出合わない気がするので

競技から引退したら完全にスケートは切り離す、というのはもったいないな

と思ったのです。

 自分が好きな「フィギュアスケート」を通して、社会課題の解決に関わることはできるのか。あるとしたら、どんな関わり方なのか。そんなことを考えていました。

 

 「フィギュアスケート ×社会課題の解決」

まず耳出しより少し大きな枠でみた一例として「スポーツを通じた国際協力」というのがあります。その例として

・紛争があった地域で異なる民族が混合チームを作り、スポーツ大会を開く

・難民が逃れた先の国で地元のサッカーチームに入り、その地域に馴染むきっかけになる

といったことがあります。

 

サッカーやバレーボール、陸上など、そのスポーツをするための道具があまり必要ではなかったり、場所を問わずに行えるものが多いです。

例えば、サッカーだと最低ボールが1個あればできます。

もし、きちんとしたサッカーボールがなかったら

布を丸めてテープで留めれば代用できるかもしれません。

 

一方スケートは、まずスケート靴が必要です。

これは何か別のもので代用して作るということは難しい気がします。

そしてスケートリンクという特別な場所も必要です。

立派な建物で、氷もきれいに整えられたリンクではなくても、氷の地面が必要です。

(氷ではない、樹脂製のスケートリンクもあるようですが)

とても寒い地域では、湖が凍って自然のリンクで滑れるかもしれませんが、

そうではない地域では、意図的に準備をしないとスケートができる場所がありません。

こう考えると、スケートというのは、誰もが簡単に享受できる環境ではないのです。

 

すこし余談になりますが...

以前ある人には、「スケートなんて地球温暖化防止に逆らってるよね、電気たくさん使っているし。」と言われたことがあります。笑

スケートリンクの維持には 24時間膨大な電気を使用しています。

その電気の発電方法にもよるかもしれませんが、

地球温暖化の対策として電気はこまめに消そうと言われていることを考えると

地球温暖化という社会課題に対して、スケート(スケートリンクの維持)は貢献している、

とはとても言えません。

むしろ、その流れに逆らっていると言えるでしょう。

これを言われたときは苦笑いでした...。笑

 

就職活動を始めてからの私は氷の上で練習しているときに

「今私が滑っていることで、世界で苦しんでいる人の状況は何も変わっていない。だとしたら私が滑っている意味は何だろう。」という大きな問いが何度も頭に浮かびました。

そんなときはとても息苦しくなるような感覚になり、

ジャンプなんて跳ぶ気にならない、そんな心境でした。

 

自分はこれから何ができるのだろうか。

私が出した一つの答えが「スケートを続けてきたことで身に付いた力を活かすこと」。

決して「するスポーツ」としてはメジャーではないフィギュアスケートをしてきたからこそ

できること。それを生かして社会に貢献していくこと。

 

直接的にスケートを媒介としたことができなくても、このように捉えると

スケートをやってきたことは決して無駄にはならない、と自分の中で意味付けたのです。

 

ここで、この見出しに近いことを実践されている方をピックアップしてみます。

 

村元小月さん

現役時代は全日本選手権の出場などの実績があり、

2013年からタイのナショナルチームのコーチとして指導をしています。

タイのフィギュアスケートのレベルは日本と比べるとまだまだ低く、

コーチも足りていないそうです。

個人的には、JICAの青年海外協力隊のスポーツ隊員のようなイメージがします。

(参考ページ:https://news.jsports.co.jp/skate/article/20161228171237/?p=2

 

・キムヨナさん

ユニセフの親善大使に任命されていて、世界選手権の優勝賞金を全額寄付したり、

これまでに約8500万円の寄付金を納め、様々なキャンペーンにも参加してきたそうです。

知名度を生かした社会貢献、と言えるでしょう。

(参考ページ: https://sportsseoulweb.jp/star_topic/id=1403

 

浅田真央さん

2018年より「浅田真央サンクスツアー」というアイスショー

全国のスケートリンクを周りながら開催しています。

他のアイスショーは行わないような地方でも開催することは、

その地域の経済を動かすことになり、「地域おこし」につながっていると言えると思います。

(参考ページ: https://maotour.jp)

 

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 「フィギュアスケート×社会課題の解決」というのは

私の人生の中での大きなテーマの一つかもしれません。

具体的に何がしたいのか、何をすべきなのかということの答えは

まだ見えていません。これはいろいろな道を模索しながら

自分なりに答えを見つけていく、見つけるというよりは

むしろ作っていく、というようなものな気もしています。

 

模索することも楽しみながら、いろいろな道を歩いていこうと思います。

 

先生との「信頼関係」はスケート人生を光り輝かせる

 前回の記事でも触れましたが、

私は自分の先生だったからこそスケートを続けてこられたと実感しています。

 

もちろん、先生に対して今まで1ミリも不満を抱いたことがない

というわけではありませんし、

同じ先生にずっと師事するデメリットもなくはないかと思います。

 

そういったことを加味しても、やはり、

相性がよい先生と出会えたことが幸運だったなぁとつくづく感じ、

自分の先生と信頼関係を築く、自分の先生を信頼できる、というのは

当たり前のようですが、大事なことだと改めて思うのです。

 

 今回は、私のスケート人生におけるいくつかのターニングポイントとも言える

先生からもらった言葉を紹介した上で

引退までの最後の1年間に経験した、先生との印象的な場面を記したいと思います。

 

 

心に刻まれた先生からの言葉 

1.「先生はリンクで待ってるから、いつでも帰っておいで。」

これは、怪我をして2か月ほどリンクを離れる決断をしたときに

先生からもらった言葉です。

 

高校生の頃に右足に怪我をして、約2か月全く氷にのらなかった時期がありました。

当時の私は、毎日練習をしていました。

中学から本格的にスケートを始め、

だんだんできるようになることが増え、今振り返ると自分でも驚くくらい

スケートにのめり込んでいた時期でした。

 

怪我が発覚し、最初は練習時間を減らし治療をしていましたが、

やはり完治させるためには一定期間練習はしない方がよい、となったのです。

 

たとえ完治しても、いつまた再発するかわからない。

以前のように、思いっきりスケートができるかわからない。

 

これからもっと練習して、新しい技を習得して、試合で成功させて...と

思っていたときに

突然、そのスケートができなくなるかもしれない、という現実がやってきたのでした。

 

まさに「絶望」でした。

未だにそれを超える絶望は感じたことがないくらい、

当時の私は奈落の底に突き落とされたようでした。

 

もしスケートができなくなったら

私はこの先何に向かって生きていったらよいのだろう。

この先、スケート以外でこんなに夢中になれるものに出合えるのだろうか。

という気持ちに襲われ、どうすることもできず苦しみました。

 

そして、先生に「2か月休みます」という連絡をし、返ってきたのが

「先生はリンクで待ってるから、いつでも帰っておいで。」

 

それを見た瞬間、涙が溢れました。

 氷の上に戻れないかもしれないという恐怖でいっぱいだった私を

先生からのその言葉が解放してくれました。

 

再発するかどうかなんて誰にもわからないし、

「時間がかかっても戻れる場所があるんだ」という安心感がとても救いになり、

ちゃんと完治させてリンクへ戻ろうと思えたのでした。

 

 

2.「ちょっとでもやりたい気持ちがあるなら、やってみたら。」

 私は先生からのこの言葉で、大学でもスケートを続けることを決意しました。

 

高校3年の春の試合を区切りにして

大学受験に向けて専念するために約1年スケートから離れました。

そのときは、大学に入ってからもスケートをするかどうか決めていませんでした。

 

区切りとした試合に、そのときの自分にできる一番難易度の高い構成のプログラムで

挑むことができ、その試合の直後には目標としていた級の取得もできたので、

一旦「やりきった感」を感じていたためか、

「絶対大学でもスケートをやるんだ!」という気持ちはありませんでした。

大学で新しいことを始めるのもいいかなーとぼんやり思っていたくらいです。

 

そして大学受験が終わり、先生に報告しに久しぶりにリンクへ行きました。 

そこでも、スケートはどうしようかまだ迷っている、という話をしたところ、

「ちょっとでもやりたい気持ちがあるなら、やってみたら。」

と言われました。

 

確かに、リンクから離れた期間はテレビで試合を見ていると

やっぱり、滑りたいなーと思っていました。 

先生と話したときにまだ迷っていた、ということは

まだどこかでやりたい気持ちがあったのだと思います。

 

そんなときの先生からの言葉で、

前向きに自然と「やってみようかな」と思えたので、続ける決心をしたのです。

 

先生からすると、生徒が多い方が収入も増えるので

その言葉を放った部分も1ミリくらいはあるかもしれませんが。笑

 

 

3.「練習を増やしたからといって、インカレに行けるとは限らない。でも、後悔しないようにしなさい。
最後に、ここまでスケートをやってきたよかった、と思えるようにしなさい。」

これは大学時代の後半、インカレ(大学生の全日本選手権のようなもの)の

予選の試合が数か月先に迫ったとき、もらった言葉です。

 

大学生活の折り返し地点を超え、スケートの引退もいよいよ迫ってきた頃でした。

ということは、当然学生生活というものも残り少ない時間です。

 

大学に入ってからの私は

大学の勉強や就職活動などスケート以外にも興味が広がり、

中高時代と比較すると、スケートにかける時間は減らしていました。

 

そして学生生活も終わりが見え、何にどれだけ注力するか、改めて考えていました。

そのことを先生に相談したときに言われたのです。

 

「練習時間を増やしてもインカレに行けるとは限らない。

でも、もし行けなかったときにどっちが後悔する?

できるだけのことは全部やって練習した結果行けなかったのと、

もうちょっと練習しておけばよかった、と思うのと。

あなたがどうふうにスケートをしても構わないけど、

最後引退するときに、ここまで続けてきてよかった、と思えるようにしなさい」と。

 

この言葉をよく考え、私は前者を選びました。

この先の長い人生で、全力でスケートができるのは、あとほんの少し。

社会人になってから趣味でスケートを続けたとしても、

ジャンプをバンバン跳んで試合に出る、なんてことはできなくなります。

 

そう考えると、「もう一度全力でスケートをしてみよう」と思えたのです。

と同時に「全力を尽くしたら今の自分はどこまでいけるのだろう」と思ったのです。

 

それまでの私を見てきたからこそ、先生はこの言葉をかけてくれたのだと思います。

後悔しないように、自分で考えて納得してスケートをしなさい、と。

 

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これらの言葉は、今でも私の心に深く深く刻まれています。

こんなことを経て、大学4年時、引退までの最後の1年

そして引退のときをどう先生と迎えたのか。ここから書いていきます。

 

 輝きを増した引退までの最後の一年

1.最後のインカレ:先生と挑む全力投球の最後の試合

 

 実質的な最後の試合はインカレではありませんでしたが、

そこを目指してやってきた部分もあり、

多くの大学生スケーターにとってインカレは特別な舞台であり、

私も気持ちの上では、最後だと思い臨みました。

そして、大学4年時のインカレは最初で最後の、先生と臨んだインカレでもありました。今までは、会場が遠かったので先生は呼んでいなかったのです。

 

私の先生は、普段から感情的になることは少なく、

試合のときもリンクサイドで冷静に立ち、見守ってくれている印象でした。

 

そんな先生が、最後のインカレのときに私の演技の最中、

技が成功すると手を叩いて、ときには体を動かしながら見守ってくれていたのです。

 

これはあとから試合の時の映像を見て気づいたことだったのですが、

その先生の姿は心に迫るものがありました。

いつもは技が成功しても、

手を1.2回叩いて冷静に「はい、次」という感じだったのですが、

このときは強く何回も手を叩き「よし!!」という感じだったのです。

 

先生も先生なりに、この試合の特別感など、

何か感じるものがあってくれてたのだろうと思うと心が熱くなりました。

 

 

2.最後の貸切:最後のクラブの貸切練習を終えて

 

私はずっと地域のクラブに入り、スケートをしてきました。

クラブに入ると

一般の方が滑る時間以外にクラブ員だけが滑れる貸切の練習があり

たくさん練習できるようになります。

 

この貸切の練習のときは基本的にいつも先生がいて

ジャンプやプログラムの曲かけを中心に練習し、

先生からの指導を受けることも多かったです。

クラブに所属している選手たちは、この貸切の練習を積み上げて

試合に臨んだり、級の取得を目指します。

 

そう考え振り返ってみると

この「貸切」には、私がここに至るまでのプロセスがぎっしり詰まっていて、

血と汗と涙を流してきた日常の軌跡は

特別な意味合いを持つようになっていたのです。

 

何度転んでも立ち上がってジャンプを跳び、

やってもやってもできないことが嫌になり、

ときには先生からのアドバイスに不機嫌そうな顔をしたり、

きれいに技が成功すると「今のよかったよ、今の感じで」と先生から言われたり。

 

何百回、何千回という貸切を積み上げてきたからこそ、

試合のときのたくさんの大きな喜びや悲しみがあったのです。

そして、その道のりは私一人ではなく、先生と歩んできたものでもあります。

 

そんな「貸切」もついに最後を迎えます。

いつものようにリンクサイドにあがると、

クラブの後輩が花束と色紙を抱えて待ってくれていて、

それに気づいた瞬間、私の涙腺は崩壊していました。

 

それらを受け取り、先生のもとへ行き、何か少し言葉を交わしました。

そのとき、先生の目に涙が光っているように見えたのです。

私はこのとき、先生の涙を初めて見たような気がしました。

その時の先生の表情が、ここまでの道のりを物語っているようでした。

 

 

3.本当の「引退」:フィギュアスケートの競技生活からの卒業

 

幸運なことに、最後の試合のあとに

本当の最後として人前で滑る機会をいただきました。

 

その本番も終え、リンクを出て帰る前に先生に挨拶をしました。

そこでもまた、先生の涙が見えた気がしました。

これを境に、フィギュアスケートから離れ、スケートリンクにもほぼ来なくなります。

 

2.3.と先生と具体的にどんな言葉を交わしたかはあまり覚えていませんが、

言葉では表現できないものをしっかり感じました。

 

「お疲れ様」なのか

「よく頑張ったね」なのか

「ちょっと寂しくなるなぁ」なのか

「これからの人生もしっかり生きていきなさい」なのか。

 

こんなようなことを、先生のその姿から、表情からしっかり感じたのです。

アイコンタクトで会話をしたような、そんな感覚でした。

 

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自分の人生の中で

自分の良い状態も悪い状態も含めて

自分のあらゆる面を深く知っている人というのは

意外と稀有な存在なのではないかと思います。

 

どんなに親しい友人でも、楽しい時間は一緒にたくさん過ごしても、

悩んでいたり、どん底まで落ち込んでいる時間も同じように共有してきたという人は

何人いるでしょうか。

 

まして、ちょっとしたことで気分がジェットコースターのように浮き沈みしたり、

自分のアイデンティティを探っているような、

自分含め環境も大きく変化する、10代~20代の「自分」を知っている人は

どれだけいるでしょうか。

 

フィギュアスケート と出合った私は、同時に「先生」とも出会い、

ほかの人との人間関係と比較できないような

強い「信頼関係」を築くという経験もしてきたのでした。

 

決して目に見えませんが、先生とのそんな「信頼関係」があったからこそ、

最後の一年に見た先生との光景、先生の姿は、

これまでに見たことがない輝きを放っていたと思うのです。

 

前回と今回の先生シリーズは、ほとんどの内容が個人的な話になりましたが、

一個人のストーリーを通して、フィギュアスケートの奥深さや魅力などを

感じたり、考えるきっかけになれば嬉しいです。

フィギュアスケートにおける選手と先生の関係性とは

今回は、フィギュアスケートにおける先生の存在について考えていきます。

選手にとって先生とはどのような存在なのでしょうか。

 

フィギュアスケートで「先生」というと

テレビなどでスケートの試合風景を見たことがある方は

リンクサイドに立ち、選手に言葉をかけたり見守っている姿、

キスアンドクライ(点数が出るまでに待っている場所)で選手と並んでいる姿を

想像するでしょうか。

コーチとも呼ばれる存在ですね。

 

私は、スケートを本格的に習い始めてから引退するまでの10数年、

同じ先生に習っていました。

個人の経験からの話が中心になってしまいますが、

私にとっての先生は

スケートの経験を語る上で一番大きな存在であり、

その先生だったからこそ大学卒業の引退まで続けることができた、

二人三脚をしてきた、

そんな存在です。

 

そんな私と先生のストーリーを振り返りながら

フィギュアスケートにおける選手と先生の関係性について

帰納的に考えてみようと思います。

 

 

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 1.先生との出会い

まず最初に、私がどのようにしてその先生と出会ったのか。

最初は、スケートリンクが主催している週に1回の教室に通っていました。

そこでは、自分で先生を選ぶことはできず、

レッスンのレベルごとに違う先生が教えていました。

 

そして、単なる習い事として楽しむだけでなく、

級を取得したり、試合に出て上位を目指すというように本格的に習う、となると

クラブに入ることになります。

クラブに入ったら一人の先生に師事し、

その先生のもとについているほかの人と一緒に練習したり、と

〇〇先生チームのような感じで日々練習をしていくことになります。

 

 当然、一人の先生が面倒をみれる生徒の人数は限りがあります。

私がクラブに入りたいと思ったときは、二人の先生しか空いていませんでした。

そのときに選んだ先生が、のちに10数年の付き合いになっていく先生だったのです。

 

中学・高校・大学という心身ともに大きな成長期かつ、

様々な経験を経ながら個人のアイデンティティ、価値観が形成されていく重要な時期

である10年を一緒に過ごしてきた、

その10年間の私の成長をずっと見守ってくれていた、

という意味では、両親の次に

ある意味では両親以上に私のことをよく知っている、とも言える存在です。

 

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ここからは「練習」と「試合」という観点にわけて

先生について考えていきます。

 

2.練習のときの「先生」

中高時代は、練習のときは先生がいることが多かったです。

一方、大学時代は自主練の時間も多く、

中高と比べると先生から直接指導を受ける時間は少なったかと思います。

 

それらを振り返り、個人的に感じた

練習時に感じた先生の役割・存在意義・メリットのようなものを

以下の3点にまとめました。

 

①どこが悪いかを的確に教えてくれ、

できないことができるように、できることをきれいに見えるように指導してくれる

②新しいことに挑戦させてくれ、スケートそのものの楽しさ・自分の可能性を広げてくれる

③「見られている」という視線の存在が気持ちを引き締めてくれる

 

以下、それぞれについて深掘りを進めていきます。

 

①どこが悪いかを的確に教えてくれ、

できないことができるように、できることをきれいに見えるように指導してくれる

 

これは、スケートそしてスポーツに限らず、物事の上達を目指す際に

誰かに師事する一番のメリットといえるのではないでしょうか。

 

練習をしていると、今までできていたジャンプがなぜか急に跳べなくなり、

何回やっても転んでしまうというときに、

先生の一言で成功するときが何度もありました。

 

「体を起こして、まっすぐお尻の上に重心を持ってきて」

「足と腕を締めるタイミングがずれている、腕を締めるのをもう少し遅くして」

 

このようなことを言われ、それを意識すると

さっきまで転び続けていたのが噓のようにきれいに跳べることがあるのです。 

 

決して、それらのようなポイントは初めて言われたこととは限りません。

自分の中で癖のようについてしまった動きをすぐに直すことは簡単ではありません。

 

自分でそのポイントを意識することと

それを実践できることは、同義ではなく、

できないときにどこがうまくいかない原因かを

ほんの数秒の間の動きの中で的確に判断してくれる先生の存在は欠かせません。

 

上記のように「できないことをできるようにする」だけでなく、

「できることをきれいに見せる」という観点も

フィギュアスケートにおいては大事な観点です。

 

例えば「腕を下から上にあげる」という簡単な動きだとしても、

どのように行うか、どこを意識するかで

見ている人が受け取る印象は大きく異なります。

 

・手の平は内向きか、外向きか、

・目線はどこに向けるか、どう移動させるか

・上半身はどのように動かすか(前傾させたり、横にひねったり、後ろに反らせたり)

・動かすスピード(ゆっくりあげたり、速くあげて上でためたり)

 

ざっと挙げただけでも、このような選択肢があります。

これらの組み合わせ方次第で

力強さ、優しさ、苦しさ、柔らかさ、儚さ、などを表現し得るので、

当然見え方が変わってきます。

 

フィギュアスケートは表現のスポーツでもあるので

動き一つ一つに様々なバリエーションをつけることができる、というのが

大きな魅力でもあると思います。

 

ということで、単なる技術の向上だけでなく

「見せ方」も教えてくれる、という意味でも

フィギュアスケートにおける指導者の客観的な視点、というのは

選手1人では持ちえない大きな価値だと思います。

 

新しいことに挑戦させてくれ、スケートそのものの楽しさ・自分の可能性を広げてくれる

 

これも大きなポイントですね。

新しいジャンプの跳び方や、スピンの姿勢、ステップの組み合わせ方、

など今までやったことがない技を教えてくれる、ということが

先生から直接指導を受けるときの、大きな楽しみでした。

 

当然、それらはすぐにはできません。

教えてもらって、そのあとに必死に自分で練習を重ねて習得していきます。

 

その度に「スケートってこんな動き方ができるのだなぁ」

「できないと思っていたけど、練習を重ねているとある日できるようになることもあるのだ」と、

純粋にフィギュアスケートの面白さを何度も噛みしめることができるのです。

 

そして、それがフィギュアスケートの魅力でもあると思います。

年齢や経験年数に関係なく、自分1人ではたどり着けないところまで、

フィギュアスケートそのものの楽しさを広げて続けてくれる。

 

競技として常に上を目指してスポーツに取り組んでると、

いつの間にかないがしろになってしまうことも考えられるこのポイントを

外さずに、指導し続けてくれた先生の偉大さを感じずにはいられません。

 

以前あるイベントで、スポーツの指導者の方がこのような言葉を言っていました。

 

「指導者の立場にある人は、誰よりも選手の可能性を信じなければいけない。」

 

たとえ選手がどんな困難な状況に陥っても、

自分自身に希望や自信を持てなくなっても、

指導者は選手本人以上に、その人が持つ可能性を信じて

力を引き出し、引き伸ばす。

それが指導者の使命の一つなのだなと思いました。

 

先生がいたからこそ、私は決して一人では到達しえなかった未知の世界を

何度も経験することができたのです。

 

③「見られている」という視線の存在が気持ちを引き締めてくれる

 

これは私自身が怠け者であることや

気持ちが弱い部分に起因しているかもしれません。笑

 

こんな会話を一緒に練習していた仲間とよく交わしていました。

「先生いないと気合入らないよねー」

「先生がくるっていうから、朝練頑張って来たのに...!」

(その朝練に先生は来なかった)

 「先生いないから曲かけなくてもいっか」

 (貸切練習では、順番に自分の曲をかけて練習するのが常)

 

いかに先生という存在にモチベーションを左右されていたか、がわかると思います。笑

 

練習のときに先生がいたとしても

一つ一つの技をやる度に常に言葉をかけられるとは限りません。

 

ですが、「先生が見ている」ということ自体が

練習時の緊張感を高め、結果的に技の成功確率を上げることもあるのです。

 

個人的には、技の成功確率には技術的な要素だけでなく、

精神的な要素も大きく関わっていると感じます。

抽象的な表現になってしまいますが、

「適度な緊張感かつ気持ちを強く持っている状態」のときに

成功確率が高いと感じます。

 

先生がいなくても

自分で自身の精神状態をコントロールして練習できることが理想ですが、

スケート以外の生活面でどんなことが起こってもとりあえず毎日リンクに行く、

というような生活を送っていると、それが難しいのが現状でした。

 

そんなときでも、先生がいることで

練習が始まると自然に自分の中の「スイッチ」がONになるのです。

 

 

3.試合のときの「先生」

次は、試合時における先生の存在意義について考えてみます。

 

「精神的支柱」

 

過去に何度も試合に出て、良い試合もどん底の試合も経験して

この要素が何よりも大きいと感じます。

 

先ほど「練習」の③で書いたように

技の成功確率には技術的なことと同じくらい、

試合時となるともしくはそれ以上に

精神的な面が大きく影響していると思います。

「メンタル」っていうやつですね。

 

朝練から夜練まで、文字通り、家とスケートリンクを往復し、

練習を積み上げてきてついに迎えた試合当日。

 

よく先生からも言われていましたが、

もうここまでくると、技術的な問題はどうこうできるものではありません。

 

練習してきてできなかった技が急に本番で成功したり、

ずっとあった足の痛みが急になくなったり。

このようなことは100%起こらないというわけではありませんが、

そこに期待をしすぎる、一縷の望みにかける、という心持は

あまりよくはないかなと思います。

それが実現しなかったときに全く動揺しないのならば話は別ですが...。

 

ただ、直前の練習で失敗し

練習のときように先生に技術的なアドバイスをもらい

もう一度トライし成功すると自信が持てるようになることもあるので、

技術的なことは全く関係ない、ということではなく

過度な期待はしない方がよい、というニュアンスです。

 

となると、あとは

「練習してきたことをいつも通りやるだけ」

「いつも通りできるように、程よい緊張感と落ち着きを持ちつつ、

 気持ちを強くもって最後まで滑りきること」

これに尽きると思います。

そしてこれが一番難しくもあるのです。

 

試合では、試合ごとに

氷の感触

会場全体の広さ

参加している人たちの雰囲気、などが様々で

そこにその時の自分の状態が加わり、

「いつも通り」やることが簡単ではありませんでした。

 

試合会場につき、アップをして、衣装に着替えたり準備をして、

いざ氷の上での本番がきます。

その本番が来る最後の最後に送り出し支えてくれるのが先生なのです。

 

もうあとはやるしかない、というときに

練習のときにようにいつも通り、リンクサイドで先生と向き合うことで

自分が一回り大きく強くなれる気がするのです。

 

最後のポーズをとり、リンクサイドまで帰ってきて、結果が出るのを待ちます。

予想以上に結果が良くて喜んでいるときも

結果以前に自分の滑り自体がひどくて悔しいときも

いつも隣に先生がいました。

 

スケート人生という大きなストーリーの中には、

一つ一つの試合という小さなストーリーが鏤められています。

 

試合当日までにどのような練習をしてきてその時間を過ごしてきたか、

本番にどのような気持ちで挑むか、

そこでどんな滑りができて、

それがどんなふうに評価され、結果となるか。

 

これらの無数の組み合わせで生まれたものが、その試合のストーリーとなります。

そこには「喜怒哀楽」では表現できないほどの感情が溢れています。

そして、そのストーリーを自分1人ではなく

先生と二人三脚で作っていくのです。

 

このような経験を繰り返していくと

試合における「先生」という存在意義が

自分の中で徐々に、強固に、確立され

決してゆるがない「精神的な支柱」になっていくのだと思います。

 

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先生について書いてみると

想像をはるかに超える文章量になったので(笑)2回に分けました。

 

次回は、こんな先生とのこれまでの事例をいくつか取り上げながら

どんなふうにして「選手と先生」のストーリーが完結したのか

を書いていきます!