気づいたら10年打ち込んでいた元スケーターの備忘録

元大学生フィギュアスケーターが10年間のスケート人生を通じて感じたことを、当事者ならではの視点から書いたり、そんな私の感性に刺さったモノを紹介します。

人は一生の中でいくつの「心惹かれること」に出合えるのだろうか

今回は3つのパートに分けて書いてみます。

①星道夫の言葉

②好きの原動力

③「グレー」であり続ける

 

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①星道夫の言葉

 

「短い一生で心惹かれることに多くは出合わない。

もし見つけたら大切に、大切に、、、。」

これは、写真家の星道夫の言葉です。

 

ある日、星道夫の写真展に行ったときに出合った言葉で、

一度見ただけで今でもずっと心に刻まれているほど

スケートに打ち込んでいた当時の私に響きました。

 

この言葉を見ながら

「自分にとって、フィギュアスケートは大切にしなきゃいけないんだな。

競技から引退したとしても、どんな形かはわからないけど大切にしていきたい。」

と感じました。

皆さんにとっての「心惹かれること」、自分が心から夢中になれることは

何でしょうか。そして、それはいくつくらいあるでしょうか。

 

私は20数年生きてきた中で出合ったものが「フィギュアスケート」でした。

約20年で一つ、だとしたら、残りの人生であと4つくらい出合えるのだろうか。

それは多いのか、少ないのか。

 

人は生きていく中で、膨大な数のものや経験に触れて生きていて、

皆それぞれが同じものに触れたとしても

それに心が惹かれる人もいれば惹かれない人もいます。

単純な数で比較して考えてみると、

心が惹かれないことの方が圧倒的に多く、心が惹かれることがいかに少ないか。

その尊さが鮮明に感じられます。

 

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②好きの原動力

 

少し話が逸れるようですが

人を動かす一番大きなエネルギーを生み出すものは

「好き」ということではないかと私は思います。

 

私が10数年スケートを続けてきたのも、続けてこれたのも、

根本には「スケートが好き」という気持ちがあり続けたからです。

「好き」という原動力は、人の人生、生き方を大きく変える力を持っていると

実感しました。

 

このブログもその一例です。

もともと私は自分の意見を積極的に外に出す方ではありませんでした。

そんな私がブログを書こうと思ったのも、スケートがあったからでした。

まずはスケートのことならできると思ったのです。

「スケートが好き」という原動力が

自分の行動を思いもよらない方向に変えたのです。

 

ブログを書く、という行為がそれまでの自分とどれくらいかけ離れていたかというと

ブログを始めたと言ったときに、ある友人から

「罰ゲームでやらされたのかと思った」と言われたほどです。笑 

冗談かもしれませんが、そう思う余地があるほど

それまでの自分では考えられない行動だったのだなと改めて自覚しました。笑 

 

スケートの競技生活の引退が近づいてくる頃に、ひとつ気づいたことがあります。

スケートをここまで長く続けてきたから

自分は一つのことを長く続けられる性格なのだと思っていました。

しかし決してそうではありませんでした。

振り返ってみると、自分がやりたいと思って始めたことでも、

すぐに身を引いてしまったことがたくさんあったのです。

ありがたいことにこれまでたくさんの習い事を経験してきましたが、

ひとつのことを続けた年数としては、スケートは断トツ1位でした。

 好きだから、ここまで長く続けられたのです。

「好き」というパワーが、

そのパワーの持続性・拡大力がスケートは圧倒的だったのです。

 

じゃあなぜそんなにスケートが好きなのか、というのは

これまでの記事を読んでいただいていると理解していただける部分もあるかと思いますが、極論「自分の心が惹きつけられるから」です。

そこに論理的な理由をつけることは、今の私にはできません。

 

私は誰に言われたわけでもなく

自分の意思でスケートを始め、大学卒業まで続けてきました。

ここまで好きになれるものに出会えたことが幸せだなぁと思うのです。

もちろん、そういうものがないことが不幸せだということではないし

スケートの中で、苦しいこと・手放したものもありました。

 

でも、引退した今振り返ってみると、心の底から感じるのです。

スケートにのめり込んで駆け抜けてきた10年は宝物のような時間だったな、と。

 

スケートに出会っていなかったら経験できないような

たくさんの人との出会いや感情の揺れ動きがありました。

喜び、楽しみ、悲しみ、悔しさ、絶望、感謝、感動、緊張、安堵、信頼、、、

フィギュアスケート」というひとつのことを通して

先生や仲間、家族と過ごす日々の中で多様な感情を経験し

人間的にも成長できたのではないかと思います。

 

人生の中でも、胸をはって宝物だと言える期間があるのは、それを作り出したのは、

まぎれもなく「好き」という原動力でした。

 

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 ③「グレー」であり続ける

 

資本主義が軸にある社会の中で生きていると

時として合理性や整合性を求められます。そこを突き詰めていくと、

うまく説明できないものはないがしろになってしまうこともあります。

 

でも、決して合理性や整合性がすべてではなく

「なぜだかはわからないけど、うまく説明できないけど、心が惹かれること」

「気づいたらその方向に心も体も動いていること」

を大事にすることも大事にしたい、と思うのです。

 

何歳になっても、どんな環境の中で生きていても

「心が惹かれること」に出合ったときに

そのことに気付くことができる自分であり続けたい、と。

 

人間は、人間が生きているこの社会は

そんな簡単に白黒はっきりつけられるものではありません。

しかしその事実を理解していながら、白黒つけたくなるときもあります。

「グレーな状態」に不安や焦りを感じるので、グレーを白か黒にしたくなるのです。

白や黒だと、気持ちや行動に迷いがなくなります。

 

でも、「グレーな状態」を恐れない、

「グレーな状態であり続ける」ことをむしろ楽しむ。

そんなことも、人間らしくていいのではないかなと思うのです。

 

「グレー」であり続けることが

「心惹かれること」に出合う、気付くきっかけになるかもしれません。

 

「グレーを捨てない、グレーであり続ける」

社会人となった私が、自分の指針の一つとしようと思っていることです。

 

スケーターの強み②「腹をくくること」

 スケータ―の強みシリーズ第二弾。

フィギュアスケートをやってきた人だからこそ持つ力、強みについて

第一弾では、「一人で立ち上がる力」について書きました。

今回は、「腹をくくること」について書いてみようと思います。

 

フィギュアスケートの現役生活を引退し、社会人になり仕事をするようになってから、

周りの方からこんなことを何度か言われたことがあります。

「初めてなのに堂々としていたよ」

「それまでのプロセスは一旦置いといて、いざそのときになったら

腹をくくってる感じがするよね」

これらは、人前で立って話す仕事をした後に上司の方からいただいた言葉なのですが、両方ともいい意味で言っていただきました。

 

私は、これはきっと長年スケートをやってきたからこそのものだなと、感じました。

そして、これは私だけでなく、スケートをやっている/やっていた人に共通する

大きな強みなのではないかなと思います。

 

これまでのほかのいくつかの記事でも触れたと思いますが、

スケートの試合では、たった一人で大きなリンクに立ち、たくさんの人の目線が注がれる中、途中で何が起きても最後まで滑りきらなければいけません。

曲が流れ始めたら、頼りになるのは自分だけ。

 

その本番までに、例えば、

・これまではとても調子がよかったのに、前日の公式練習では 

 全くジャンプが決まらない

・本番の直前の6分間練習のときに、緊張のせいか足が全然動かない

(動かしてるつもりなのに動きが鈍い、硬い)

・試合までにはなくなると思っていた足の痛みがとれていない

といったことも起こりえます。

 

上記のようなことが起きたとしても、いざ試合当日、自分の番になったら、

泣いても笑っても自分が滑るしかないのです。ほかに代わってくれる人はいません。

ジャッジや観客といった見ている人は、その人がここまでにどのような状況だったか、というのを詳細に知っているわけでもなく、見られるのは、本番の自分のみです。

 

 正直、ちょっとくらい振り付けを間違えても、違う技をしても、

それが本来のものではないと気づくのは自分と先生くらいです。笑

 

そうなると、本番がやってきたら、とにかくもうやるしかないのです。

とんでもない根性論。笑

そこに至るまでの状況がどんなものであれ、本番の自分の状態が何であれ、

そのときの自分のベストを尽くす。

腹をくくって、最初のポーズをとり、最後まで滑りきる。やり抜く。

 

約10年間、たとえ就活で全然練習ができていないときでも、

コンスタントに試合に出続けたことによって身に沁みついた、

私なりの物事への向き合い方、生き方だと思います。

 

スケートから離れた生活になったからこそ、上司からの言葉で、

より鮮明にそのことに気づかされました。

 

仕事で考えてみると...

例えば、人事として新卒採用の会社説明会を行うことになりました。

当日までにどんなにプレゼンの練習をしても、これまでに何回もやってきている先輩の方が上手だと感じます。

当日は、学生からどんな質問がとんでくるかわかならいのでとても不安です。

 

でもいざ説明会のときがくれば、自分は会社の顔です。

学生からすると、説明会を担当する人が誰であれ、その人の話や立ち振る舞いがどれだけ魅力的かで、その会社に対する印象は大きく左右します。

説明会の瞬間は「自分は会社の代表としてこの場に立っているのだ」という意識で腹をくくり、たとえ学生からどんな質問がとんできても、きちんと向き合って受け答えをするのです。

 

仕事の一事例に当てはめて考えてみましたが

スケートの試合ととても類似しているように思えますね。

 

もちろん、本番当日までの準備や当日のコンディションが完璧であることが望ましいとは思いますが、人間常に完璧なんてことはありません。

そんな現実から目を背けるのではなく、

きちんと受け止め、腹をくくって本番に臨む。

このスタンスを無意識にできる、頭ではなく体が覚えている

という強さを持っているスケーターは少なくないと思うのです。

 

氷の上から離れてしまっても、

そこで積み上げてきたものが

社会人としての自分を支えてくれている部分があるのだなぁと実感したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

フィギュアスケートは花業界に貢献している?!

突然ですが、「フィギュアスケート」と「花」にはどんな関係があるでしょうか?

ぜひどんな関係性があるか想像しながら読み進めていただき、

フィギュアスケートをより多角的に楽しめる一助になれればと思います。

 

今回はこれまでとは少し違うテイストの内容になるかと思いますが

個人的にこういうことを考えるのは純粋に面白いなーと感じるので、

記事にしてみました。

前置きはこのくらいにして、ここからが本題です!

 

スケートを大学生の最後まで続けたことで

周りの方からたくさんの花をいただきました。

引退試合、最後のクラブの練習、クラブから卒業したとき、など。

 

今後の人生でこんなに短い期間にいろんな方から花をいただけることはないのではないか、と思うくらい。

その期間はずっと机の上が華やかになり、幸せな気分でした。

 

私は、大学受験のときに1年ほど休んでいたのですが

もしそのときにそのままやめていたら、こんなに花をもらっていなかったでしょう。

 

フィギュアスケートをやっている人の多くは、大学卒業時に引退します。

もちろん卒業後も趣味で続ける人はいると思いますが、

毎日のように練習をして年に何回も試合に出る、というような

スケート生活からは離れることになります。

 

「引退」というはっきりとした線引があり、

それを周りの人も理解しているからこそ、

素敵な花々をいただくような機会に恵まれたのかなと感じます。

 

花というのは大きなパワーを持っているなぁと感じます。

花を見ると、無条件でその瞬間に心がぱっと明るくなります。

スケートでたくさんの花をもらう以前から、私は花が好きでしたが、

より一層好きになり、それ以来、ちょっとした友人へのプレゼントに

花を選ぶ機会が増えました。

 

たとえ一輪だとしても、

渡した相手は花を見た瞬間に、喜びと驚きが混ざったような表情がはじけます。

その表情を見て、私も幸せな気持ちになります。

その度に「花ってやっぱりいいなぁ、すごいパワーを持っているなぁ」と

しみじみしてしまいます。

 

私はどんどん花に惹かれていき、ある日ふと思いました。

「ところで、花の市場規模ってどのくらいなのだろう。」

私個人としては、数年前と比較すると花にかけるお金は増えましたが、

ほかの人は花を買うのだろうか、と思ったのです。

そこで花の市場について少し調べてみました。

 

・産出額

  1998年 約6,300億円

  2014年 約3,700億円

・1世帯当たりの生花年間購入金額

  2002年 11,540円

  2016年 9,317円

参考ページ〈https://www.ryutsu-kenkyusho.co.jp/ryuken_report/花きの消費拡大に向けて/

 

この数字を見る限り、

花全体の市場の動向としては明るいとは言えないのが現状のようです。

 

ようやくここからフィギュアスケート を絡めて考えていきます。

大きな規模のスケートの試合では選手が滑ったあとに、

リンクにたくさんの花の投げ込みがされることがあります。

ちなみに、それを拾う子どもたちはフラワーガール・フラワーボーイと呼ばれています。

もちろん投げ込まれるものは花以外もありますが、

人気がある選手だと、真っ白なスケートリンクの白の部分が少なくなるくらいの量が

投げ込まれます。

スケートの試合をテレビで見たことがある人は

イメージがわきやすいのではないでしょうか。

 

今ではフィギュアスケートの試合はテレビでも当たり前のように放送され、

試合会場も満員というのは珍しいものではありませんが

決して以前からこのような人気があったわけではありません。

10年前や15年前と比べるとその変化は驚くべきものだと思います。

 

このようなことと「花」を関連づけて考えてみると、私はふと閃きました。

フィギュアスケート界における花の市場は拡大しているのではないか。」

(根拠となる具体的な数字はないのですが。)

 

 フィギュアスケートの人気が高まる

→試合会場に足を運ぶ人が増える

→それに伴って選手へのプレゼントとして花を持っていく人も増える

→花の購入金額増加

 

花全体の市場としては右肩下がりでも、

フィギュアスケート×花」というくくりで捉えると右肩上がりとなっていたら

興味深いなぁと思います。

 

ここまでは、テレビ放送されるような大きい試合のフィギュアスケート×花業界という大きなくくりで考えてみました。

これを個人レベルの「自分」という最小のくくりで考えてみると...

 

冒頭で述べたように、私はスケートを大学生の最後まで続けたことで、

周りの方からたくさんの花をいただきました。

少し言い換えると

「私が大学の最後までスケートを続けたことで、周りの方は花を買う機会があった」

ということになります。

もし私がスケートをしていなかったら、もしくは中途半端な時期にやめていたら、

その方たちは、花を買う機会が1回分減っていたかもしれません。

 

ただただスケートに夢中になっていたら

花屋の売り上げにほんのほんの少し貢献していた、ということが起きていたのです...!

 

まさかの発見。笑 

こんなことは氷の上にいるときは決して思いつきませんでした。

氷の上を離れてスケートのついてあれこれ考えてみると、

現役時代とは違う考えが出てきたりするので、それはそれで面白いですね。

 

 

フィギュアスケートは本当に個人競技なのか

世の中にある多種多様なスポーツを「団体競技」と「個人競技」にわけるとすると、

フィギュアスケートは「個人競技」にわける人が多いのではないかと思います。

 

日本のマスコミで取り上げられるのは

ペアやアイスダンスの選手よりもシングルの選手が圧倒的に多いでしょう。

今回は個人競技団体競技、仲間、ライバルというようなテーマで考えてみたいと思います。

 

フィギュアスケートは、個人競技の面もあれば、団体競技のような面もある。

それが面白いところ。」

あるとき、私の友人がフィギュアスケートの魅力をこのように表現しました。

これを聞いたとき、まさにそうだなーと。

 

もしかしたら、「フィギュアスケートは、一人で黙々と練習を重ねて、試合でもたった一人で滑り切るもの」というイメージを持っている方もいるかもしれません。

それは正しくもあり、一方で、それだけで語れるものでもありません。

私なりに両方の側面からスケートの深掘りをしていこうと思います。

 

1.まずは個人競技の側面について

①練習のとき

以前、スケーターの強みとして

「一人で立ち上がる力」があることについて書きました。

スケートがうまくなるためには、やはり日々の練習が欠かせません。

私は先生からできるだけ多くの時間氷の上にのるように、

怪我をしてジャンプやスピンができないときでも、滑れるなら技を練習しなくても氷の上にのった方がいい、と言われていました。

 

どれだけ先生が熱心にアドバイスをくれたり、仲間が頑張っている姿を見ても、

最終的には自分のスケートは自分がやる気になって練習をするしかない、と思います。

 

②試合のとき

試合では、必ず1人で滑ります。

先生や仲間にリンクサイドから送り出された後は、

途中で転んでも、振り付けを忘れても、最後まで1人で滑りきらなければいけません。

真っ白なリンクの上で頼りになるのは、究極自分のみ。

そして、その時々の自分についての評価がそのまま自分に返ってくるのです。

だからこそ、試合では1人1人の個性が眩しいほど光るのだと思います。

 

2.団体競技の側面について

①練習のとき

1で書いた内容だけ見ると、スケートは個人競技の側面が強いように思われますが、

一方、仲間の存在が大きな役割を果たすのも事実です。

 

所属する大学、習っている先生、レベルを表す級、学年、、、

これらが違っていても同じリンクで練習している人は、教えあったり、

動画を取り合ったり(自分のスケートを客観的に見るため)しています。

 

私は大学の部活とは別に、地域のクラブにも長年所属していました。

春休みや夏休みといった長期休暇のときには、同じ先生についていた仲間とは

家族よりも長い時間を一緒に過ごしていた日も珍しくありませんでした。

 

朝練から始まり、昼のグループレッスン、陸上でのトレーニング、

夕方から氷上に戻り各々自主練をして、夜練。

 中学・高校の頃の夏休みはこんな日々を積み重ねていました。

この、決して楽とは言えない練習を乗り越えられたのは

言うまでもなく、仲間と一緒だったからです。

 

どんなにきつくてもみんなが頑張っているから私も諦めない。

先生がいないときは何でもないようなことでみんなで大爆笑したり。

振り返ると、1人で練習していただけではできない経験、

見れない景色が数え切れないほどあります。

 

②試合のとき

試合は、だいたい同じレベルの人同士で競うように

所持級ごとにクラスわけがされています。

練習のとき同様、大学などが違っても、

自分が出ていないクラスの仲間はリンクサイドから応援しあいます。

 

では、同じクラス人同士はどういう関係性なのか。「ライバル」なのか。

この問いに明瞭に答えることは難しく思います。

 

同じクラスで出ている人は大学1年の頃から毎回競ってきた

という人が少なくありませんでした。

 

私はまさにその状況でした。

中学のときから一緒にやってきた子と同じ所持級だったため、

毎回同じクラスで試合に出ていました。(もちろん、その子以外にもいましたが。)

ある予選の試合では、何位までが予選通過というラインがありました。

もちろん自分が通過するためには、自分はいい演技をして周りの人はあまりうまくいかなかった、という方がいいかもしれません。

 

しかし、そのような試合では、ライバルというより

「絶対2人で予選通過しよう」というものでした。

自分は自分で全力を尽くし、その子が最高の演技ができるように応援し、祈ります。

一つに技が成功/失敗するたびに、一喜一憂していました。

 

 刺激を与えあうという意味ではライバルでもあり、一人一人が最高の演技ができるように声援を送り合う仲間でもある。私はそんなふうに思います。

 

個人競技であるけれども、決して一人ではやっていけない。

1人1人がその人の個性が詰まったスケートを磨き上げていく過程には、

地道な日々の練習と、必ずライバルや仲間の存在があります。

 

フィギュアスケートは、個人競技の面もあれば、団体競技のような面もある。

それが面白いところ。」

この言葉をきっかけに、改めて私自身スケートの魅力に浸っているのでした。

 

スケーターが持つ「空間認識能力」とは

今回は「空間認識能力」についての話です。

 

フィギュアスケートを続けてきたことで身に付いた力の一つに

「空間認識能力」があるのではないかと思います。

 

あえてカッコ書きにしたのは、ある方とお話しして得た気づきを、一言で表すために

私自身がこの言葉を当てはめたからです。

 

ここで私が意図するのは、ざっと

 

ある空間において、自分が今どこにいるのか、

自分の周りの人はどこにいるのか、次に自分はどこへ行くべきなのか、

その空間の外からは自分・自分を含めた周りの人はどう見えているのか、

というようなことを、瞬時に判断し行動する力、これを無意識レベルでできる力

のことです。

 

もう少しわかりやすくするために、フィギュアスケートでの具体的な場面を挙げながら考えていきたいと思います。

 

まず、フィギュアスケートでどのようにその力がつくのか

1)練習のとき

以前別の記事でも少し触れましたが

普段の練習はリンクに数十人がいる状態で練習します。

その中で前向き・後ろ向きに滑りながら、ジャンプやステップなどを練習するのです。

そのとき常に頭の中の一部にあるのは

「自分の周りにぶつかりそうな人はいないか」。

もちろんステップの動きなどについて考えていることもありますが、

上記の意識は常に根底に、無意識レベルに存在しています。

 

というのも...

スケート靴の氷と触れている部分であるブレードは一種の刃物だと、

以前の記事でご紹介しました。

 

滑ってる氷は頭などを打つと大怪我につながる可能性もあります。

私自身、担架で運ばれている人を見た回数はこれまでに少なくありません。

スピードを出している人同士がぶつかる、なんてことはとても恐ろしいことです。

そんな環境なので、誰かに怪我を負わせない(もちろん自分も怪我をしたくありません)ために「ぶつかることを避ける」というのは、

当たり前ですがスケータ―にとって最優先事項といっても過言ではないでしょう。

 

例えば、ジャンプの練習で、ジャンプの助走に向かっているときはこんな具合です。

 

・自分が跳ぼうとしているコースの先で、別の人が跳ぼうとしている。

 でもその人が跳んだ後はコースから外れるので、

 自分はこのままジャンプに向かっても大丈夫だな。

 

・でも、もし前でジャンプを跳んだ人が転んでしまったら、

 立ち上がるまでの時間を考えると

 自分がこのままのコースでジャンプに向かうとぶつかってしまうな。

 

・前の人のことを考えると、

 自分はコースを少しずらして跳んだ方がいいかもしれない。

 でも自分の後ろにはそのずらしたコースで跳ぼうとしている人がいるようだ。

 譲った方がいいだろうか。

 

ジャンプの助走に向かって滑っているときに前後を見ながら、

このような思考が頭の中を駆け巡っています。

自分の動きを考えながら、周りの人の動きも把握・予想し、

自分と周りの人との関係性を認識する、そしてその後の動きを瞬時に決断する。

このような思考と判断を一回ごとのジャンプやステップの練習の中で繰り返しているのです。

 

2)試合のとき

 試合では練習のときとは一変、広いリンクで一人で滑ります。

試合に関する空間というと

・ジャッジから自分はどのように見えているのか

・観客席からはどう見えているのか

・試合会場ごとに多少サイズが異なるリンクを大きく使えているか

スケートリンクを上から見て、一つの大きな楕円と捉えたときに、プログラム全体を通して万遍なくどのスペースも使って滑っているか)

・スピンが終わったときに次に滑り出す方向はどの方向か

・最後にポーズをとるのはどの向きか

 

こんなことが頭に浮かんでいます。

試合で滑る会場は初めて滑るリンクということもあります。

試合前の公式練習ではもちろん、本番前ぎりぎりまで、

頭の中で目の前に広がるリンクでどう滑るか、どこでどの技をするのか、

イメージを含ませていざ本番を迎えます。

 

これらの練習と試合を何年も積み重ねていくことで、

「空間認識能力」が身についたのだと思います。

 

冒頭で、これはある方(以降Aさんとします)とお話する中で得た気づきだと

書きました。

就職活動のときに出会った社会人のAさんは

バレエを長年やってこられている方でした。

 

Aさんとフィギュアスケートをやってきたことで身についた力について

お話していたとき。

Aさんは、「バレエをしてきたことで「空間認識能力」が身に付き、

それは仕事においてもとても活きている。

あなたが培ってきたその力はきっとどの組織に入っても、活きる力である。」

と伝えてくれました。

 

バレエも、舞台の上という限られた空間の中で、

・自分が今どこで踊っているのか

・そしてそれは観客から見たらどのように見えているのか

・複数人で踊っているときは、隣の人との距離感はどうか、全体のバランスはどうか

これらのようなことを考えながら、動いているそうです。

 

フィギュアスケートとバレエは動きにおいて、似ている点が多いと思いますが、

このような観点でも類似点があるのです。

 

これを組織の中という視点で転換して考えてみると、

・組織内での自分自身の役割を正しく認識する

・自分と周りの人(上司、部下含め)との関係性に常にアンテナをはる

・自分がどこに向かってどのように動くか、を無意識レベルで考え、判断する

 

こんなようなことではないでしょうか。

こう考えると、スケートをしているときと思考回路がとても似ていると感じます。

 

私は、Aさんの言葉を聞いて思いました。

フィギュアスケートで、そんな力が身についていたのか、そんな観点があるのか、と。

もちろん、これはAさんの視点や感性によるところもあり、

私自身にとび抜けた「空間認識能力」がある、というわけではないと思っています。

 

ただ、この力はある程度フィギュアスケートをしてきた人には

身についているのはないかと思います。

スケートだからこそ身についた力って何だろう、と頭を悩ませていたときに、

Aさんからもらった言葉は、大きな気づき、そして自信になりました。

 

「空間認識能力」を無意識レベルで働かせることができる、

その上で行動ができるという強み。

こんな観点があるんだということが、就職活動をしているフィギュアスケーターの方のほんの一助になれば嬉しいです。

なぜそんなに試合に出たかったのか?

私は、フィギュアスケートを続ける中で、試合に出ることが大好きでした。

出れる試合には全部出たい!と思ってやってきました。

今回は、なぜ試合が好きなのか、試合の魅力を内省しながら書いていこうと思います。

 

スポーツをしていると

練習が好きな人と試合が好きな人、2パターンの人がいると思います。

私は後者でした。

できなかったことができるようになる嬉しさがある練習も好きでしたが

試合の方がより好きでした。

 

私が試合が好きな理由の1つは、1人で滑る気持ち良さです。

 

普段練習をしているときは同じ時間に必ず複数人が滑っているので

怪我をしないように常に周りを気にしながら滑ることになります。

一度、自分が滑っている様子の動画を見たところ、

自分でも笑ってしまうくらいキョロキョロ周りを見ながら、滑っていました。笑

 

一般営業時間内に滑るときには、シーズンにもよりますが

一般のお客様、教室生、クラブ生と数え切れないほどの人が氷の上にのっています。

 

クラブ生しか滑れない一般営業時間外の貸切のときでも、

40人〜50人が一度に滑っています。

貸し切りでは順番に自分のプログラムの曲をかけて滑れるのですが、

そのときもキョロキョロしながら滑っています。

人がいてここのジャンプが跳べなかった、なんてこともざらにありました。

大学の貸切となると10人前後と結構減りますが(ちなみに私が経験した最少人数は3人)、1人で滑ることは決してありませんでした。

 

ところが一変、試合では必ず1人で滑ります。

当然といえばそうなのですが。

普段の練習環境を考えると

大きなリンクで周りの人を気にせずに、音楽に合わせて伸び伸びと滑れる。

それだけでとっても気持ちが良いのです!

 

その気持ちよさを体いっぱいに感じられるのは

練習では味わえない、試合ならではの大きな魅力です。

 

試合が好きな理由の2つ目は、自分自身への挑戦ができることです。

試合では他人の点数と比較した結果の順位が出ます。

しかしそれ以上に、自分の演技の内容、それに対する結果と評価、

それらを踏まえ次の試合に向けての改善点は何かということが大事だと考えます。

 

その試合に向けて、どのような練習を重ねて挑むか。

そして試合で自分がどこまでできるか、というワクワクもある緊張感。

そんな中でいい演技ができたり、

この試合ではこの技に挑戦しよう」「この試合では何点以上を出したい」

というように目標に対する評価が得られたときの歓喜は、何にも代えがたいものです。

 

もちろん、練習してきたことが全然出せずに、どん底に落ちることもありました。

でも、それもひとつの経験です。

どん底も味わったからこそ、うまくいったときの喜びもひとしおなのです。

 

このような感覚に共感してくれる人はあまり多くはありません。笑

中学高校と比べ、大学入学後は、参加できる試合の数が一気に増えました。(年に2試合→年に7〜8試合) これは試合好きな私としては、よかった点です。

試合の数が中高のままだと、ここまでスケートを続けられていなかったかもしれない、と今では思います。

 

スケート以外の日常生活ではあまり味わうことがない、独特の緊張感がある「試合」。

その緊張感の中で、自分が滑り、仲間が滑るのを応援し、

嬉し涙も悔し涙も流してきた経験を積み重ねてきたことは

大きな自信につながっているのではないか、と感じます。

スケートにまつわるお金の話

フィギュアスケートをしている、と人に言うと

「お金かかるでしょ...?」と結構な頻度で言われます。

そんなことから今回は、気になっている人も多いであろう

スケートにまつわるお金の話を少ししたいと思います。

 

たくさんあるスポーツの中で

「お金があまりかからない」「結構かかる」にわけるとすると、

フィギュアスケートは「結構かかる」の方に入るのではないかと思います。

 

習い事の1つとして、週1回の教室のような形でやるとしたら

最初のスケート靴を買う以外はそこまでかからないかもしれません

しかし、クラブに入って毎日のように練習し、試合に出るとなると話は違ってきます。

 

ひとつの例として、私の経験から

フィギュアスケートを続ける過程で何にお金がかかるか挙げてみようと思います。

 

スケート靴→1年に1回程買い換えます

クラブの貸切代→一般営業時間外で曲をかけて練習する貸切

先生の月謝→私の先生は一回の練習ごとの計算だったので、貸切にいけばいくほど金額は上がります

一般滑走代→貸切とは別に、一般営業の時間に滑るときは別で料金がかかります

ロッカー代→スケート靴を毎回持ち帰るのは重いので、リンクに個人で借りられるロッカーがあります

シャープニング代→スケート靴の刃を年に数回研ぎます

試合の参加費→お金を払って試合に参加しています

遠征費→試合が遠方だった場合、交通費や宿泊代がかかってきます。先生に来てもらう場合は先生の分も払います

衣装代→サイズが変わったときや、プログラムをかえたときにかかってきます

振り付け代→頻繁にかかるものではありませんが、新しいプログラムを作るときにかかります

 

ほかにも諸々ある気がしますが、

毎月かかるものと、そうではないものを含め代表的なものはこんなところです。

ざっと挙げただけでもとても多いです…。

 

大学でスケートを続ける中で、このお金について考える機会が増えました。

アルバイトで稼いだお金もすぐにスケート代でとんでしまいます。

ちょっと友達と出かけたり、買い物をするお金のとびかたは比にならないほどの

とびかたでした

 

私の中で、スケートとアルバイトの関係性は

上達するためにもっとスケートの練習をしたい→お金がよりかかってしまう→アルバイトで稼がなきゃ→練習する時間が減り、体の疲れも取れなくなってしまう→スケートとの両立難しい...    というものでした。

 

このバランスをどうとるかということとはずっと付き合っていました。

スケートにかかった金額を合計すると

どれだけ海外旅行に行けただろうと思ったことも何度もあります。

 

ただ、フィギュアスケートでの多くの経験は、単純にお金の話だけではないものです。もちろん海外旅行などほかの経験でも同様だと思いますが。

 

将来自分の子どもがスケートをしたいと言ったら、何年続けるかにもよりますが

大変だろうなと思います、、、。