気づいたら10年打ち込んでいた元スケーターの備忘録

元大学生フィギュアスケーターが10年間のスケート人生を通じて感じたことを、当事者ならではの視点から書いたり、そんな私の感性に刺さったモノを紹介します。

フィギュアスケートの衣装は重要なモチベーション

フィギュアスケートでは、衣装も重要な要素の一つです。

今回はそんな衣装について。

 

フィギュアスケートの試合やアイスショーを見ていると

色とりどりできらびやかな衣装に目が止まる人もいるのではないかと思います。

 

衣装の調達方法としては以下のような種類があるかと思います。

・店やネットで買う

・家族や知り合いなどに作ってもらう

・業者にオーダーする

 

私はだいたいネットで買っていました。

練習着や手袋などの小物類、試合用の衣装などの

フィギュアスケート用品を扱っているネットショップがあります。

 

そこでは色、サイズ、デザインいろいろな衣装があり、選んでいました。

業者によっては、カスタマイズができ、この衣装は長袖だけど半袖がいい、

この衣装は青だけど同じデザインの赤がいい、というようなことも可能です。

 

私はネットで買った衣装に、

自分で石(ラインストーンやスパンコールのようなキラキラをするものです。)を

追加してつけていました。

ネットで買った状態のままでも、飾りや石はついているのですが

遠くから見たときにあまりキラキラしていないこともあり、

数十個、ときには数百個の石を、つける位置や石の色を考えながら

一つ一つつけていました。

 

誰かに作ってもらう場合や業者にオーダーする場合はほとんどないと思いますが、

ネットで買う場合は「ほかの人と同じ衣装になる」という可能性もあります。


違う試合や同じ試合でも違うクラス(スケートの試合はレベルごとにクラス分けされます)ならまだよいのですが、

私は一度だけ同じクラスの子と同じ衣装だったことがありました。

その子を発見したときは「まさか同じ衣装の子がいるとは…!」ととても驚きました。そして2人とも入賞したので

表彰式のときの同じ衣装の子がいるという光景は印象的でした。笑

 

ネットで買うときに、同じ試合の同じクラスで衣装の被りがないように

業者が考慮してくれるようなのですが、

同じ衣装で複数の試合に出ることもあり、完全に被りを防ぐのは難しいようです。

 

私にとって、衣装は大事なモチベーションの一つでした。

やはり、自分が気に入っている衣装、

周りの人が「素敵だね」と言ってくれる衣装ときと気持ちが上がります。

 

練習でも試合でも、ちょっとしたメンタルの動きが

技が成功するかしないかに影響してきます。

 

特に試合では、自分よりも上手な人がたくさんいたり、

緊張する中で自分の演技をしっかりするために、気持ちを強く持つ必要があります。

そんなときに、お気に入りの衣装がパワーをくれることもあるのです。

フィギュアスケートの魅力②

私が感じるフィギュアスケートの魅力の1つは

新しいことに挑戦し続け、習得できることです。

 

フィギュアスケートには技がたくさんあります。

ジャンプだけでも6種類あり、それぞれ1回転、それができたら2回転と

回転数を増やし練習していきます。

さらに連続してジャンプすることもあるので、それは様々な組み合わせができます。

 

スピンでも、しゃがんだような姿勢、体を反らせた姿勢など

複数の姿勢を連続で組み合わせてやることが多いです。 

ステップも体の動かし方や全体の流れなど多様です。

 

このように、フィギュアスケートでは

ここまでやれば終わり、全部習得したというところがありません。

 

いくつになっても上達できるところが魅力的だなと思います。

自画自賛になってしまいますが例を挙げようと思います。笑

私自身、大学4年の12月から新しいスピンを練習しそれができるようになったときや

4年の1月の試合でそれまで練習していたスピンが初めて認定されたときは驚きました。引退が目前になったこの時期(引退は4年3月)でも

新しいスピンができるようになるんだ、と。

 

先生にやってみればと言われ練習し始めたのですが

最初は笑ってしまうくらいできなかったものが、

試行錯誤しながら練習していくうちに自分がきれいに回れるポジションがわかり、

回れるようになってきたのです。

 

小さい頃は、とにかくジャンプを練習し

試合でもジャンプを成功させることばかりが頭にあり、

新しいジャンプも習得していくことができていました。

しかし、大学生になってからはそれが難しくなり、体型の変化もあり

むしろ以前よりとべなくなったと思います。

それでもスピンやステップなど、

以前はあまり頭になかったところまで気を配れるようになりました

 

自分の考え方やスケートに取り組む姿勢次第で、成長し続けることができる

というのが、スケートの奥深い点であり、魅力のひとつだなと思います。

 

 自分の限界を決めないこと。

多少無理そうに思えてもある程度続けてみること。

そうすることで道が拓けることもあるのだ、と

引退直前に大きな学びを得ることができました。

試合で行った各地

大学のスケート生活を通して、日本全国様々な場所に行くことができました。

中高の頃と比べ、大学では年間の試合数が3~4倍に増え

試合で全国各地を訪れることができ、それもまた楽しい経験でした。

 

これまでに試合で行ったところをあげると、

北海道、長野、栃木、千葉、東京、神奈川、愛知、京都、大阪

と様々な場所のスケートリンクで滑りました。

 

氷も会場の様子もそれぞれ異なりました。

柔らかめな氷、硬めな氷など、氷の状況により、普段はしないような技の失敗の仕方を複数人がしているリンクもありました。

観客席がないリンクもあれば、テレビで放送しているスケートの試合の会場のように

高いところまで観客席があるリンクもありました。

後者のリンクで滑ったときは、とても気持ちよかったことを覚えています。

 

遠い場所で試合があるときは

試合の前日や数日前にある公式練習と本番以外は、空いてる時間が多いこともあり、

観光を楽しんでいました。笑 

全体を10とすると、試合7~8、観光2~3くらいの気持ちでいくことが多かったです。

 

ご飯も各地の名物を調べて食べたりしていました。

移動手段も、夜行バス、電車、飛行機と様々です。

リンクは交通の便が悪いところにあることも多く、現地ではみんなでタクシーに乗ったりもしました。

 

普通の旅行以外でも全国各地に行くことができ、

そこでは一緒に来ている仲間たちと観光したり、ホテルの部屋で夜まで話したり。

遠い場所での試合となると、

試合前日にも関わらずついつい寝るのが遅くなってしまうこともありました。笑  

このような楽しみは大学生スケーターならではの経験だと思います

ついに迎えた現役引退 ~最初で最後の「引退」が見えて、そこを通過して感じたこと~

大学のフィギュアスケートの引退は、

4年時の1月~3月頃と部活の引退としては遅めです。

そして、フィギュアスケーターは大学卒業で競技を引退することが多いです

 

今回は、私のスケート人生において、これまでの人生においての

最大の節目といっても過言ではない「引退」について書いています。

 

私が初めて「引退」というものを意識したのは、大学1年の3月の試合でした。

それまで中学高校とスケートを続けてきましたが

引退というワードが頭に浮かんだことは一度もありませんでした。

 

中学高校の頃はフィギュアスケートを部活としてやっている人は少なく、

ほとんどの人は地域のクラブや教室に入りスケートをしています。

クラブでは同じ先生についている子たちと一緒に練習したりもしますが

習い事の感覚に近いので、学校の部活とはまた少し違うような気がします。

 

私は、高校3年の時に大学受験でスケートは休んでいました。

当時は大学でもスケートを続けるかは決めていなかったので、

これが最後の試合になるかもしれないと思いながら、休む前の最後の試合を終えました。このときは、自分はスケートを引退するのだななどとは全く思っておらず

本気でやってきた習い事に区切りがついたな、くらいの気持ちでした。

そこできっぱりやめると決めていれば、また話は違ったと思いますが。

 

そして、大学受験が終わり、大学でもスケートを続ける決断をします。

大学1年3月の試合で、4年生の人が引退する様子を見て

初めて「これが引退というものか」と思いました。

演技が終わり、リンクサイドへ戻ってくる選手の表情、先生とのやりとりなど、

これまで積み上げきたものがにじみ出るような、胸が熱くなる瞬間でした。

 

大学の後半戦である3・4年は常に

自分はどう引退を迎えたいか」を考えながらスケートをしてました。

先生からも「最後に、ここまでスケートをやってきてよかったと思えるようにしなさい」と言われ続けました。毎年の試合で4年生が引退していく姿を見て

私の中では、やはり引退というのは特別なものなのだという感覚が強くありました。

 

そしていざ、自分が4年生になり、同期が引退し、自分も引退すると

1・2年の頃に思っていたよりもあっけなくその時が過ぎてしまいました。

後輩から見て今の自分は、自分が数年前に見ていたような4年生に見えていたのかな、と。

 

引退試合とはいえ、これまでたくさん出てきた試合の中の一つです。

それだけで完結するものではなく、そこに向かってどのような思いで

どう取り組んで来たか、そのプロセスが大事であり、かけがえのないものであり

その最終地点が引退試合なのだと思いました。

 

引退試合だけでなく引退の年は、一つ一つの試合が名残惜しく、

これまでに以上に貴重なものであると同時に、これまで支えてくれた多くの人たちへの感謝の気持ちが大きくなった年でもありました。

 

この年は、すべての試合がその試合は最後となり、毎回何かの最後を感じます。

いつも一緒に練習している仲間や後輩の前での最後の演技、

先生と臨む真剣勝負の最後の試合、スケートを始めたときから

ずっと応援してくれていた家族が見に来てくれる最後の試合。

 

引退が近づくにつれ、自分はこれまで本当に多くの人に支えられ

その人たちがいたからこそここまでスケートを続けてこられたんだ、と

体の奥底から感じる思いが強くなっていきました。

 

だからこそ、よい演技をして結果を残して、

応援してくれた人たちに感謝の気持ちを届けたい

おこがましいですが、私のスケートから少しでも何かを感じてくれたら嬉しい

という思いで、引退の年の試合は挑んでいました。

毎試合、嬉しくて悲しくて寂しくて、涙を流していました。

 

引退が迫った4年の1月・2月の試合でこれまでにないほどのボロボロな演技をしてしまったときは、涙が止まりませんでした。

これまでのような、練習してきたことができなかった悔しさの涙ではなく、

大切な人たちが見てくれていたのによい演技ができなかった、

自分のスケートができなかったことが、申し訳なくショックでした。

 

そんな中、ついに迎えた引退試合

もちろんたくさんの人への感謝の気持ちはありますが

前の試合では、それを強く思い過ぎたがために

うまくいかなったところがあったのかなとも思い、

最後の最後は自分のために滑ろうと思いました。

 

スケートが好きだという純粋な気持ちを忘れないで

気持ちよく最後まで滑り、笑顔で終われるようにしようと思ったのです。

最後は泣かずに終わることができました。笑

 

これは、人の一生にもつながることなのではないかなと思います。

人には死という人生の引退が必ずあります。

それがいつかはわかりませんが

終わりを意識することで、自分が今何をすべきか、何をしたいかを考え、

引退までの期間をより輝くものにできるのではないかと。

 

そして、いかに自分はたくさんの人に支えられているか。

周りの多くの人への感謝を忘れずにいること。

大切な人のためだからこそ頑張れたり、想像以上の力が発揮できることがあります。

 

でもそれだけではなく、自分自身も楽しみ、生き生きとすることも

同じくらい大事なのではないかと思います。

それが誰かの力になっていればとっても素敵だな、と。

 

少し大げさかもしれませんが

スケート人生というものを通して、「引退」を迎え、私はそんなことを感じたのです。

大学でフィギュアスケートをやるということ

大学生でフィギュアスケートをしている人の

スケートとの関わり方の背景には、様々なものがあります。

 

いろんなタイプの人に出会うたびに、私は、いろんな人がそれぞれの思いでスケートをしていることを感じ、感動してしまいます。

 

大学生でスケートをしている人のタイプとしては

大きく以下の4つにわけられるかと思います。

・5.6歳くらいの小さい頃からずっとスケートを続けている人

・中学高校のときに始めて、続けている人(私もこのタイプです)

・大学から始めた人

・小さい頃にスケートをやっていて、数年間のブランクを経て、大学で再び始めた人

 

印象的な人のエピソードをいくつか挙げようと思います。

Aさんのエピソード

Aさんは小さい頃クラブに入りスケートをやっていましたが

途中でやめ、大学に入り約10年ぶりにスケートをやることにしたといいます。

ブランクの期間が数年ならまだしも、10年というのは、聞いたとき衝撃を受けました。Aさんは小さい頃にある程度上のレベルまでいっていたので、

もう一度始めてもどこまでレベルを戻せるか、自分でも分からず不安もあっただろうなと思うと、スケートの世界に戻ってきたその勇気に感動してしまいました。

 

Bさんのエピソード

Bさんがスケートを始めたのは大学2年の秋です。

大学卒業時の引退までおよそ残り2年半です。笑 

それまではフィギュアスケートを見ることが好きでした。

大学生スケーターとしては始めたのが1番遅いのではとも思われるBさんでしたが、

引退する頃には、ジャンプは1回転半、2回転までとべるようになっていたのです。

Bさんの成長スピードには終始驚かされていました。

最後まで貪欲に上を目指し、練習を重ねる姿には胸を打たれるものがありました。

 

Cさんのエピソード

Cさんは大学生でスケートに関わっていますが、自身は滑っていません。

学生の試合の運営側に回っているのです。

Cさんは上手い人の演技をみると、自分もあんなふうに滑りたい、ではなく

この人たちがいつもベストな演技ができるように試合を運営したい、と思うそうです。自分たちの試合はこの人たちに支えられていたんだと思うと

Cさんの裏方としての思いに胸がいっぱいになりました。

 

今回挙げた3人の例は私が出会った人のほんの一部です。

普段は別々の場所で練習している学生たちが、試合でひとつの場所に集結し、

同じくらいのレベルのクラスで競い合い、レベルを超えて応援し合います。

 

特に大学生版の全日本であるインカレの予選の試合となると

演技後や結果が出たあとに涙を流している人が少なくありません。

これまでのスケートの背景や今のスケート環境、

大学生活でのスケートの位置づけは、まさに十人十色です

それぞれの思いでその試合に挑んでいる姿には、いつも胸を打たれていました。

 

相手と直接戦ったり、レギュラー争いが常ではないからこそ

どんな人も受け入れてみんなで盛り上がれるのは、

フィギュアスケートの素晴らしさの1つだと

大学でのスケート生活を通して実感したのです。

スケーターの強み①「一人で立ち上がる力」

今回は、フィギュアスケートを続けてきたことによって身についた力について。

 

筋力やバランス感覚などの身体能力も身に付きますが、

今回は少し違う角度から書こうと思います。

私がスケートを続けたことで身についたと思う力の一つは

「一人で立ち上がる力」です。

 

これは、就職活動中にある方から言われた言葉をきっかけに気づいたことです。

 

「スケートって個人競技だから、自分が転んでも自分が頑張ればいいいだけだよね。」

 

就職活動中のある日、ある企業の方にスケートを話をしたところ

このようなことを言われました。

 

サッカーや野球などのように周りの人と協力しながら行うチームスポーツではなく、

スケートは個人競技なので一人で取り組むイメージが、その方は強かったのかなと

今は思います。

このことを言われたとき、私は大きなショックを受けました。

確かに、言われたことはその通りでもあると思います。

しかし、そのときは、今までの自分の努力やいろいろな人との経験を

踏みにじられたような気持ちになりました。

 

後日この出来事を友人に話したら、

「でも、ひとりで立ち上がれるだけまだいいじゃん。」

と言ってくれました。何かが起きたときに、世の中には一人では立ち上がれない人もいるだろうから、一人で立ち上がれるだけいい方じゃん、と。

 

私はこの言葉にすごく救われました。

捉え方次第でこんなにも変わるのか、と。

 

フィギュアスケートの日々の練習では

ジャンプやスピンなど一つの技を習得するまでに何回も転びます。

できるようになってからも、小さなスランプのように何度やっても転んでしまい、

正直嫌になってしまうこともあります。

 

でも、結局は自分が立ち上がってやるしかないのです。

自分がやめてしまえば、そこで終わりです。

もちろん、先生のアドバイスや友達の励ましが力になることも多々ありますが、

最後の最後には自分で自分を奮い立たせなければいけないのです。

 

試合のときには、一人で滑ります。

曲がかかり、最後のポーズをとるまで

何度転んでも、すぐに立ち上がって次に進まなければいけません。

 

私がこれまでに見た試合では

どんなに小さい子でも、試合の途中で演技を投げ出した子を見たことがありません。

当然のことかもしれませんが、小さい子からすると

私が感じるより何倍も大きなリンクなのだと思うと、感心してしまいます。

 

そんな日々の練習や、試合での経験を重ねていくことで

「一人で立ち上がる力」が身につくのだと思います。

この力はスケート以外の部分でも生きていると思います。

私自身、ちょっとやそっとのことでは、へこたれることはない気がします。笑 

何としてでもくらいついてやる、という精神がどこかにあるのです。

 

少し言い方を変えると、気が強いとも言えそうですが

この力はフィギュアスケートをやっている人が持つ大きな強み

なのではないかなあと思うのです。

ブレードという刃物

フィギュアスケートの靴には、ブレードと呼ばれる刃がついています。

このブレードをコントロールしながら滑ることで、フィギュアスケートは成り立っています。なくてはならないものです。

実はこのブレード、一歩間違えると結構危ないものなのです。

 

このブレードによって私自身、血が出るようなけがを何度かしました。

見るからに危なそうなギザギザしているつま先だけでなく、

かかとも危ないものです。

 

一番大きなけがは、ジャンプで転んだときに

自分の左足のブレードが右足の太ももにあたり

レギンスに穴が開くほどの切り傷ができたときです。

「普段はいている靴はこんなに危なかったんだ...。」と、驚きました。

 

包丁をしばらく使っていると切れ味が鈍くなり、研ぐ必要が出てくるように、

ブレードも長い間滑っていると、止まれなくなったり滑りが悪くなってくるので

研ぐ必要があります。「研磨」や「シャープニング」と呼んだりします。

 

シャープニングをした直後のブレードは鋭くなっています。

スピンをするときに、様々なポジションを取りながら回るときに

手でブレードを持つことがよくあります。(ビールマンスピンなど) 

手袋をつけずにやっても、普段なら手が切れることはありません。

しかし、あるときのシャープニング後は

毎回のようにブレードを持ったところにうっすら切れ線が入っていて、

あまり痛くはなかったですが、とても怖かったです。

 

練習をしリンクから上がったあとは

ブレードには水分がついているのでタオルで拭くのですが、

友達と話していたりして拭くのが遅くなったときは、

「あ、すぐ拭かきゃブレードが錆びてしまう。」と思って、急いで拭いたりします。

 

いつもはあまり意識しませんが、そんなこんなの経験から

ブレードはちゃんとした刃物なんだなーと、ふと思わされます。

フィギュアスケートはキラキラした衣装を着て、氷の上を舞う華やかなイメージがありますが、その足元は危険と隣り合わせでもあるのです。