気づいたら10年打ち込んでいた元スケーターの備忘録

元大学生フィギュアスケーターが10年間のスケート人生を通じて感じたことを、当事者ならではの視点から書いたり、そんな私の感性に刺さったモノを紹介します。

フィギュアスケートにおける選手と先生の関係性とは

今回は、フィギュアスケートにおける先生の存在について考えていきます。

選手にとって先生とはどのような存在なのでしょうか。

 

フィギュアスケートで「先生」というと

テレビなどでスケートの試合風景を見たことがある方は

リンクサイドに立ち、選手に言葉をかけたり見守っている姿、

キスアンドクライ(点数が出るまでに待っている場所)で選手と並んでいる姿を

想像するでしょうか。

コーチとも呼ばれる存在ですね。

 

私は、スケートを本格的に習い始めてから引退するまでの10数年、

同じ先生に習っていました。

個人の経験からの話が中心になってしまいますが、

私にとっての先生は

スケートの経験を語る上で一番大きな存在であり、

その先生だったからこそ大学卒業の引退まで続けることができた、

二人三脚をしてきた、

そんな存在です。

 

そんな私と先生のストーリーを振り返りながら

フィギュアスケートにおける選手と先生の関係性について

帰納的に考えてみようと思います。

 

 

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 1.先生との出会い

まず最初に、私がどのようにしてその先生と出会ったのか。

最初は、スケートリンクが主催している週に1回の教室に通っていました。

そこでは、自分で先生を選ぶことはできず、

レッスンのレベルごとに違う先生が教えていました。

 

そして、単なる習い事として楽しむだけでなく、

級を取得したり、試合に出て上位を目指すというように本格的に習う、となると

クラブに入ることになります。

クラブに入ったら一人の先生に師事し、

その先生のもとについているほかの人と一緒に練習したり、と

〇〇先生チームのような感じで日々練習をしていくことになります。

 

 当然、一人の先生が面倒をみれる生徒の人数は限りがあります。

私がクラブに入りたいと思ったときは、二人の先生しか空いていませんでした。

そのときに選んだ先生が、のちに10数年の付き合いになっていく先生だったのです。

 

中学・高校・大学という心身ともに大きな成長期かつ、

様々な経験を経ながら個人のアイデンティティ、価値観が形成されていく重要な時期

である10年を一緒に過ごしてきた、

その10年間の私の成長をずっと見守ってくれていた、

という意味では、両親の次に

ある意味では両親以上に私のことをよく知っている、とも言える存在です。

 

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ここからは「練習」と「試合」という観点にわけて

先生について考えていきます。

 

2.練習のときの「先生」

中高時代は、練習のときは先生がいることが多かったです。

一方、大学時代は自主練の時間も多く、

中高と比べると先生から直接指導を受ける時間は少なったかと思います。

 

それらを振り返り、個人的に感じた

練習時に感じた先生の役割・存在意義・メリットのようなものを

以下の3点にまとめました。

 

①どこが悪いかを的確に教えてくれ、

できないことができるように、できることをきれいに見えるように指導してくれる

②新しいことに挑戦させてくれ、スケートそのものの楽しさ・自分の可能性を広げてくれる

③「見られている」という視線の存在が気持ちを引き締めてくれる

 

以下、それぞれについて深掘りを進めていきます。

 

①どこが悪いかを的確に教えてくれ、

できないことができるように、できることをきれいに見えるように指導してくれる

 

これは、スケートそしてスポーツに限らず、物事の上達を目指す際に

誰かに師事する一番のメリットといえるのではないでしょうか。

 

練習をしていると、今までできていたジャンプがなぜか急に跳べなくなり、

何回やっても転んでしまうというときに、

先生の一言で成功するときが何度もありました。

 

「体を起こして、まっすぐお尻の上に重心を持ってきて」

「足と腕を締めるタイミングがずれている、腕を締めるのをもう少し遅くして」

 

このようなことを言われ、それを意識すると

さっきまで転び続けていたのが噓のようにきれいに跳べることがあるのです。 

 

決して、それらのようなポイントは初めて言われたこととは限りません。

自分の中で癖のようについてしまった動きをすぐに直すことは簡単ではありません。

 

自分でそのポイントを意識することと

それを実践できることは、同義ではなく、

できないときにどこがうまくいかない原因かを

ほんの数秒の間の動きの中で的確に判断してくれる先生の存在は欠かせません。

 

上記のように「できないことをできるようにする」だけでなく、

「できることをきれいに見せる」という観点も

フィギュアスケートにおいては大事な観点です。

 

例えば「腕を下から上にあげる」という簡単な動きだとしても、

どのように行うか、どこを意識するかで

見ている人が受け取る印象は大きく異なります。

 

・手の平は内向きか、外向きか、

・目線はどこに向けるか、どう移動させるか

・上半身はどのように動かすか(前傾させたり、横にひねったり、後ろに反らせたり)

・動かすスピード(ゆっくりあげたり、速くあげて上でためたり)

 

ざっと挙げただけでも、このような選択肢があります。

これらの組み合わせ方次第で

力強さ、優しさ、苦しさ、柔らかさ、儚さ、などを表現し得るので、

当然見え方が変わってきます。

 

フィギュアスケートは表現のスポーツでもあるので

動き一つ一つに様々なバリエーションをつけることができる、というのが

大きな魅力でもあると思います。

 

ということで、単なる技術の向上だけでなく

「見せ方」も教えてくれる、という意味でも

フィギュアスケートにおける指導者の客観的な視点、というのは

選手1人では持ちえない大きな価値だと思います。

 

新しいことに挑戦させてくれ、スケートそのものの楽しさ・自分の可能性を広げてくれる

 

これも大きなポイントですね。

新しいジャンプの跳び方や、スピンの姿勢、ステップの組み合わせ方、

など今までやったことがない技を教えてくれる、ということが

先生から直接指導を受けるときの、大きな楽しみでした。

 

当然、それらはすぐにはできません。

教えてもらって、そのあとに必死に自分で練習を重ねて習得していきます。

 

その度に「スケートってこんな動き方ができるのだなぁ」

「できないと思っていたけど、練習を重ねているとある日できるようになることもあるのだ」と、

純粋にフィギュアスケートの面白さを何度も噛みしめることができるのです。

 

そして、それがフィギュアスケートの魅力でもあると思います。

年齢や経験年数に関係なく、自分1人ではたどり着けないところまで、

フィギュアスケートそのものの楽しさを広げて続けてくれる。

 

競技として常に上を目指してスポーツに取り組んでると、

いつの間にかないがしろになってしまうことも考えられるこのポイントを

外さずに、指導し続けてくれた先生の偉大さを感じずにはいられません。

 

以前あるイベントで、スポーツの指導者の方がこのような言葉を言っていました。

 

「指導者の立場にある人は、誰よりも選手の可能性を信じなければいけない。」

 

たとえ選手がどんな困難な状況に陥っても、

自分自身に希望や自信を持てなくなっても、

指導者は選手本人以上に、その人が持つ可能性を信じて

力を引き出し、引き伸ばす。

それが指導者の使命の一つなのだなと思いました。

 

先生がいたからこそ、私は決して一人では到達しえなかった未知の世界を

何度も経験することができたのです。

 

③「見られている」という視線の存在が気持ちを引き締めてくれる

 

これは私自身が怠け者であることや

気持ちが弱い部分に起因しているかもしれません。笑

 

こんな会話を一緒に練習していた仲間とよく交わしていました。

「先生いないと気合入らないよねー」

「先生がくるっていうから、朝練頑張って来たのに...!」

(その朝練に先生は来なかった)

 「先生いないから曲かけなくてもいっか」

 (貸切練習では、順番に自分の曲をかけて練習するのが常)

 

いかに先生という存在にモチベーションを左右されていたか、がわかると思います。笑

 

練習のときに先生がいたとしても

一つ一つの技をやる度に常に言葉をかけられるとは限りません。

 

ですが、「先生が見ている」ということ自体が

練習時の緊張感を高め、結果的に技の成功確率を上げることもあるのです。

 

個人的には、技の成功確率には技術的な要素だけでなく、

精神的な要素も大きく関わっていると感じます。

抽象的な表現になってしまいますが、

「適度な緊張感かつ気持ちを強く持っている状態」のときに

成功確率が高いと感じます。

 

先生がいなくても

自分で自身の精神状態をコントロールして練習できることが理想ですが、

スケート以外の生活面でどんなことが起こってもとりあえず毎日リンクに行く、

というような生活を送っていると、それが難しいのが現状でした。

 

そんなときでも、先生がいることで

練習が始まると自然に自分の中の「スイッチ」がONになるのです。

 

 

3.試合のときの「先生」

次は、試合時における先生の存在意義について考えてみます。

 

「精神的支柱」

 

過去に何度も試合に出て、良い試合もどん底の試合も経験して

この要素が何よりも大きいと感じます。

 

先ほど「練習」の③で書いたように

技の成功確率には技術的なことと同じくらい、

試合時となるともしくはそれ以上に

精神的な面が大きく影響していると思います。

「メンタル」っていうやつですね。

 

朝練から夜練まで、文字通り、家とスケートリンクを往復し、

練習を積み上げてきてついに迎えた試合当日。

 

よく先生からも言われていましたが、

もうここまでくると、技術的な問題はどうこうできるものではありません。

 

練習してきてできなかった技が急に本番で成功したり、

ずっとあった足の痛みが急になくなったり。

このようなことは100%起こらないというわけではありませんが、

そこに期待をしすぎる、一縷の望みにかける、という心持は

あまりよくはないかなと思います。

それが実現しなかったときに全く動揺しないのならば話は別ですが...。

 

ただ、直前の練習で失敗し

練習のときように先生に技術的なアドバイスをもらい

もう一度トライし成功すると自信が持てるようになることもあるので、

技術的なことは全く関係ない、ということではなく

過度な期待はしない方がよい、というニュアンスです。

 

となると、あとは

「練習してきたことをいつも通りやるだけ」

「いつも通りできるように、程よい緊張感と落ち着きを持ちつつ、

 気持ちを強くもって最後まで滑りきること」

これに尽きると思います。

そしてこれが一番難しくもあるのです。

 

試合では、試合ごとに

氷の感触

会場全体の広さ

参加している人たちの雰囲気、などが様々で

そこにその時の自分の状態が加わり、

「いつも通り」やることが簡単ではありませんでした。

 

試合会場につき、アップをして、衣装に着替えたり準備をして、

いざ氷の上での本番がきます。

その本番が来る最後の最後に送り出し支えてくれるのが先生なのです。

 

もうあとはやるしかない、というときに

練習のときにようにいつも通り、リンクサイドで先生と向き合うことで

自分が一回り大きく強くなれる気がするのです。

 

最後のポーズをとり、リンクサイドまで帰ってきて、結果が出るのを待ちます。

予想以上に結果が良くて喜んでいるときも

結果以前に自分の滑り自体がひどくて悔しいときも

いつも隣に先生がいました。

 

スケート人生という大きなストーリーの中には、

一つ一つの試合という小さなストーリーが鏤められています。

 

試合当日までにどのような練習をしてきてその時間を過ごしてきたか、

本番にどのような気持ちで挑むか、

そこでどんな滑りができて、

それがどんなふうに評価され、結果となるか。

 

これらの無数の組み合わせで生まれたものが、その試合のストーリーとなります。

そこには「喜怒哀楽」では表現できないほどの感情が溢れています。

そして、そのストーリーを自分1人ではなく

先生と二人三脚で作っていくのです。

 

このような経験を繰り返していくと

試合における「先生」という存在意義が

自分の中で徐々に、強固に、確立され

決してゆるがない「精神的な支柱」になっていくのだと思います。

 

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先生について書いてみると

想像をはるかに超える文章量になったので(笑)2回に分けました。

 

次回は、こんな先生とのこれまでの事例をいくつか取り上げながら

どんなふうにして「選手と先生」のストーリーが完結したのか

を書いていきます!